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夏の巴里

 パリの市街をひとりの女の子が歩いていた。
 その子は子供と間違われるほどに小柄で幼げだった。しかしその顔や瞳には知性と女の輝きがあり、見る者に羽化した妖精のような非現実なほどの美しさを感じさせた。優美とはいえないレディーススーツをまとっていたが、その飾り気のない地味さがまた東洋系美少女の顔とスタイルをむしろ飾りたてた。彼女を知る日系人たちやフランス人、また他国より働きにきている者たちの間でも、小さな貴婦人、妖精の王女などとすら裏で比喩されるほどの人気者だった。もともとは引込み思案だったというが学生時代の接客業のバイトが効いたのか、慣れない外国語で必死に意志を伝えようとする間にそういう性格が矯正されていったのか、少なくともこの地では「ちょっと控えめだが饒舌で可愛い女の子」として知られていた。
「せっちゃん、ほんとに可愛くなったわねえ」
「そうかな?」
 不思議そうな顔をする妖精(びしょうじょ)に、その母親は満足げに笑った。
「そういえば知ってる?誠くんのこと」
「まこと……?」
 刹那はしばらく「うーん」と悩んでいたが、やがて「ああ」と思い出したように懐かしげに笑った。
「まこちゃんか。で、なに?」
 昨日の食事程度には関心のありそうな顔で聞き返した。
「亡くなったって」
「え?」
 ちょっと驚いた顔で刹那は聞き返した。
「どうして?病気か事故で?」
 刹那の問いに母君は苦笑した。
「なんでも、女性関係で怨まれて刺されたらしいわよ。去年の話だけど」
「うわ……」
 嫌な話訊いちゃった、お昼がまずくなるじゃんという顔を刹那は浮かべた。
「まぁ、予想できた末路ではあるけど」
 そこまで予想通りに落ちるかなと苦笑する娘に、むしろ母親の方が気の毒そうな笑みを浮かべた。
「でも、どうしてそんな話がいまごろ?」
 去年死んだ男性の話なんかが、どうして今ごろ海の彼方にやってくるのだろう。
 踊子が接点かと刹那は一瞬考えたがそれはないだろう。踊子は娘が大学に入ってまもなく誰とも知らぬ男と駆け落ちしてしまった。かわいそうに娘は学費の捻出もできなくなり中退、さらにマンションも引き払う羽目になった。
 今はいったい何をしているのか。見兼ねたある人が庇護しているというが、その人は清浦家と複雑な関係にあるため連絡はつけられない。そういう状態が続いていた。
 そんな刹那の内心をよそに、母君は言葉をつなぐ。
「いえね、刺されて病院に運ばれたんだけど今際のきわにお母様が駆けつけてね、少し話ができたそうなの。
 最後の言葉がよく聞き取れなかったそうなんだけど、誰かにごめんって謝ってるらしいってのはわかったらしいのね。
 で、いろいろ考えた末にお母様は、それがせっちゃんに謝ってたんじゃないかって」
「はぁ」
 確かに、処女もってかれたうえに毎日のように抱かれていた。そのうえであんな壮絶なイベント込みで捨てられたわけで、ひどいと言えばひどい話だ。
 もちろん、当時の刹那に問題がなかったわけでもないのだけど……。
 だが、刹那は迷惑そうに首をふった。
「死んだひとを悪く言うつもりはないけど、今さらそんなこと言われても迷惑なだけ」
「そ」
「それに、その話ってどういう経路で届いたの?」
「本社の方に私あての問い合わせがあったの。お母様から」
「……悪いけど、今さらお話しても何もならないと思う。受けた本社のひとにも迷惑かけちゃってるし」
「……そうね」
「うん」
 もしかしたら、帰国のおりにはよければ墓参りくらいなんて言葉が出たかもしれない。だから刹那はそれを頭から一刀両断にした。なまじ過去に好意があったがゆえにその突然の凶事は不快でうっとうしい。気持ちのいいお昼の空気が台無しじゃん、と刹那は内心むくれた。
 時の果て、完全に醒めてしまった刹那にとっては、誠の死なんてああそうか、程度の関心事でしかないのだろう。そこに持ってきて、まるで恋人に遺言みたいな話をもちかけられても確かに迷惑以外の何者でもない。
 処女をもってった男はいつまでも特別、なんて神話がある。男も女も、やはり初恋の相手やはじめての相手は特別なのだと。
 だけど刹那にとって、誠は悪い意味でも特別すぎた。
 そして、それがわかっている母もそれ以上何も言わなかった。

「そんな話はもうおしまいにしよ。それよりお昼は?」
「あ、そう、そうね」
 途端に空気は元の朗らかなものに戻った。
「せっかくのお休みだし、今日はあっちのレストランにしましょうか」
「うん、そうしよ」
「あら、そんなに素直でいいの?あっちにはレネ君いないのに?」
「……そういう事でからかうのはよくないと思う」
「うふふ」
 男の子の話題など楽しそうにしつつ、母娘は楽しそうに町を歩いていく。
「……ばいばい、まこちゃん」
「え?」
「なんでもない、いこ、お母さん」
「……ええ」
 母親はちょっとだけ娘の言葉と態度を思い、そして納得したように小さく頷いた。
「さ、今日はいっぱい食べよ!」
「いいけどお母さん、また太るよ?」
「いいのいいのお腹すいてるし。さ、いきましょ」
「うん」
 
 背後には夏の陽射しが、さんさんと照りつけていた。
 
(おわり)



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