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夏の巴里

 パリの市街をひとりの女の子が歩いていた。
 その子は子供と間違われるほどに小柄で幼げだった。しかしその顔や瞳には知性と女の輝きがあり、見る者に羽化した妖精のような非現実なほどの美しさを感じさせた。優美とはいえないレディーススーツをまとっていたが、その飾り気のない地味さがまた東洋系美少女の顔とスタイルをむしろ飾りたてた。彼女を知る日系人たちやフランス人、また他国より働きにきている者たちの間でも、小さな貴婦人、妖精の王女などとすら裏で比喩されるほどの人気者だった。もともとは引込み思案だったというが学生時代の接客業のバイトが効いたのか、慣れない外国語で必死に意志を伝えようとする間にそういう性格が矯正されていったのか、少なくともこの地では「ちょっと控えめだが饒舌で可愛い女の子」として知られていた。
「ふう。暑いなせっちゃん」
「そうだね」
 物憂げに空を見上げる青年に、美少女(せつな)はにっこりと笑った。
「そういえば知ってる?おばさんのこと」
「おばさん……?」
 誠はしばらく「うーん」と悩んでいたが、やがて「ああ」と思い出したように懐かしげに笑った。
「もしかして踊子さんのことか?」
「そ」
 その話題はずっと禁句になっていた。誠はちょっと不思議そうに刹那の顔を見た。
「何かあったのか?」
「なんかね、再婚するらしいよ」
「へぇ」
 そりゃあめでたい、と誠は優しい顔をしてつぶやいた。
 刹那はそんな誠の顔を悪戯っぽい笑みで見ていたが、やがてすまし顔になると、
「寂しい?まこちゃん」
「ば、ばかっ!」
 ぶるぶると首をふり、誠は渋い顔をした。
「いいひとなのはわかるし、今思い出せば可愛いひとだったんだなって正直思うよ。だけど」
「だけど?」
 楽しそうに誠の顔をのぞきこむ刹那。そんな刹那に困ったように目を背ける誠。
「……あれをもういっかい繰り返すのはごめんだ」
「ん、そうだね」
 くすくすと刹那は笑い、誠は困り果てた笑みを浮かべた。
「ったく、意地悪だなせっちゃんは。もしかして俺、ずっと言われ続けるのか」
 げっそりとした顔の誠に刹那はさらに笑った。
「まぁ、ときどきはネタにすると思う。うちのパパは綺麗なお姉さんに籠絡される純情君で、ほんとうに大変だったんだからって」
 なんだそりゃ、と呆れたような顔でぼやく誠。うふふと笑う刹那。
 その微笑ましい姿に皆が振り返っていた。ここいら界隈では毎日毎日、昼になると見られるふたりの仲よさげな光景はわりと有名であり、『せっちゃん、まこちゃん』の日本人コンビは近郊の日本人街でも話題になるほどであった。
 自分たちがそんな風に知られていることを誠は知らない。わざと見せびらかして誠目当ての女の子に牽制している刹那も何も言わないので、誠がそれを知ることはない。
「……ちょっとまて、せっちゃん」
 ふと、誠は刹那の言葉に不穏なものを嗅ぎとったらしい。
「なぁに?まこちゃん」
 くすくすと笑い続ける刹那に、誠の不安げな顔はさらにひどくなる。
「うちのパパって……まさかそれ」
「うんそう。自覚あるでしょ?パパ♪」
「……マジ?」
「うん、マジ」
 顔を見合わせるふたり。にこにこと笑いつづける刹那。
 対する誠は、観念したかのような、嬉しいような、複雑な顔をした。
「そっか。身体、大丈夫か?」
「大丈夫。おなかすいてるけど」
「わかった。じゃあ何か食べようぜ!」
 うん、と力づよく頷く誠に、刹那はさらに嬉しそうに笑った。
「じゃあどこ行く?まこちゃん」
「えっとな……」
「あ、角のあの店はダメだよまこちゃん」
「どうしてだ?うまいじゃんあそこ」
「だめ。ウエイトレスの巨乳にまこちゃん見とれるから」
「うわ、そんなことないって」
「ある」
「信用ないなぁ俺」
「うん、ない」
「ひどいなぁ……」
 またもやクスクスと笑う刹那。頭をかく誠。
 夏の巴里の陽射しが、そんなふたりを優しく包んでいた。
 
「勝利。ぶい」
「どうした?せっちゃん」
「なんでもない」 
 
(おわり)



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