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遭遇

 その微妙な風の動きに、セイバーは気づいた。
「シロウ」
「どうした?セイバー」
 衛宮士郎も気づいた。相棒(セイバー)の雰囲気が急に変わったことに。
 それは、ここしばらく見ていないものだった。あの聖杯戦争に遠坂凛と三人で生き残り、今はただ剣と魔術の講義を受けつつ過ごす毎日だったから。それは士郎にとり適度な緊張感のある充実した毎日であったし、セイバーに至っては「生涯ありえなかったことです」と言わしめたほどの平安の日々でもあった。
 なのに今、セイバーはあの頃の表情を取り戻していた。
「…」
 だが一瞬の後、士郎も気づいた。背後の闇に目を向ける。
 それは、戦意。
 敵意でも殺意でもない…しかし戦いを欲する好戦的な意志。
「…誰だ」
「…」
 夜闇の中より、豹のように現れたひとりの女。
 和風の戦装束。腰まで伸びた美しい黒髪。右手に光る古風な日本刀。
 その姿は、女性であるという問題を除けば時代劇から抜け出してきた中世日本の剣士。その身ごなしからセイバーのみならず士郎もまた、一騎打ちを望む剣客の緊張感を感じ取っていた。
「夜分に失礼します」
 女は、静かに小さく会釈をした。
「自分は神咲一灯流退魔道の剣士、神咲薫と言います。この地に強烈な霊気を感じたとの通報により馳せ参じました。
 御身は剣士の霊、もしくは精霊神霊の類とお見受けした。願わくば御名、そしてこの地におわすご事情なりとお聞かせ願いたい」
「…」
 セイバーの目線がきつくなった。相手が何者かをじっと考えているようだ。
「…退魔道と言いましたね、剣士よ」
「はい」
 薫の物腰は丁寧なものだった。しかし、戦意が見え隠れしているのは本人にも隠しようがないようだった。
 対するセイバーは、少しだけ緊張を解いた。相手の危険度を評価したようだ。
「名乗られたからには名乗らないわけには参りませんね。
 私は剣士のサーヴァント、セイバー。とある召喚の技により肉の身をもつ英霊として固定されていますが、本来は龍と精霊の加護をうけブリテンの王を名乗りその大地を守り戦った者。真名をアルトリア、またはアーサー・ペンドラゴンと申します。この地ではセイバーとして名乗っていますのでセイバーと呼んでいただければ幸いです」
 そうして、簡単ではあるがきっちりと真名まで込めて一礼をした。
「…なに?」
 薫の顔が歪む。
「何をバカな。アーサー王の伝説ならうちも知っとる。御身は女性(にょしょう)では」
『お待ちなさい薫』
 その時、薫の右手の剣が声を発した。「ほう?」と不思議そうな顔をするセイバー。
『アーサー王の伝説は私も存じております。なんでも聖なる剣の加護を受けた王は歳をとるという事がなく、少女じみた見目麗しい少年王の姿であったとか』
「!……本当か十六夜?」
『ええ。加えてこの「神気」。こうして向かい合ってみればよくわかります。
 彼女の気には神獣か龍か、まぎれもなくヒト以外の高貴なる幻想(ノウブル・ファンタズム)が混じっています。その意味でも彼女は明らかにただの戦士や騎士ではない。伝説に生きる英雄…いえ、英霊でしょうか。そういう類のものだと思います』
「…」
 呆然とする薫。そして、まじまじとセイバーの顔をみた。
 そしてセイバーは、うむ、と小さく頷いた。
「その剣は魔剣もしくは霊剣の類のようですね。その通りです剣士カオル。
 我が身は確かに女。なれどこの真名はまぎれもなく本物です。なにより私は騎士、真名を偽るような事は誇りにかけて断じてしない」
 それは確かにその通りだった。
 サーヴァントとして召喚されたセイバーにとり、召喚者以外に自ら真名を明かすなど正気の沙汰ではない。しかし相手がきちんと名乗りをあげたのだから、セイバーも礼を失さぬようきちんと返した。それはセイバーにとり騎士のならいとルール違反の二律背反であり、薫はこの時点で破格の待遇を受けているとも言える。
 もちろん薫はそうした事情は知らない。しかし剣の言葉とセイバーの態度に、何かしら思うところはあったようだ。
「……こ、これは失礼しました。よもや騎士殿を疑うなど。ご容赦願いたい」
 ましてや伝説のアーサー王が女性であるなど、という言葉を薫は言外に押し込めた。
 女だてらに剣士。その事は他ならぬ薫自身もさんざん言われ続けた事だ。ましてや中世以前とあれば、性別を偽っていた事くらい別に不思議でもなんでもないだろう。
 つい先日、アーサー王の映画を未来の夫と見に行った薫としては複雑な心境だったのだが…。
 そうして、深く一礼をした。
「ではセイバー殿。伝説の騎士王の御霊(みたま)すらこの地に留まらせるほどの召喚の技が現世にあるなど私もはじめて聞きます。それは一体?そして貴殿がこの地に留まる理由も伺いたい」
「…それについては私にも答えられない。事件は解決したものの、何より私自身にもこの事件自体の全貌はよくわかっていないのですから。
 ですが剣士カオル。私は退魔の者に追われるような邪霊や死者亡者の類ではない。そして私には目的がある。ここにいるシロウと私のマスターである者、ふたりの行く末を見つめるために。そしてシロウを通して、私自身の事についてある事を学ぶために。
 退魔の剣士カオル。これでどうですか?答えられる事柄については全て答えたつもりですが」
「…」
 薫はじっと考えていた。そしてセイバーに向き直る。
「仰る事は理解できました。調査は必要ですがそれはうちの範疇じゃなかですし、我ら退魔の者が出張(でば)るような事もなかとです。
 けど」
「…」
 セイバーの目が少し細くなる。相手の気が変化した事に気づいたようだ。
「よもや御身が伝説のアーサー王とは。我が身も剣士のはしくれ、とてもじゃないが聞き捨てならん事です。もはやこの猛る血が抑えられん。是が非にもお手合わせ願いたい」
 今度は、少し嬉しそうな顔になるセイバー。
「いいでしょう」
 ほとんど即答だった。まるで「そう言うと思った」とばかりに。
「お、おいセイバー」
 まさかの展開に、今まで黙っていた傍らの士郎がセイバーに声をかけるが、
「大丈夫ですシロウ。彼女は殺し合いでなく試合を望んでいる、それはわかります。私も騎士のはしくれではありますから」
「いや、おまえが端くれなら世界中の騎士は全部はしくれだと思うぞブリテンの騎士王(セイバー)様」
 もっともな意見だった。
 セイバーは士郎(あいぼう)の突っこみにクスッと笑うと話を続ける。
「確かに彼女は生身の人間。その分は弁えておりますし無茶はしないと約束します…それよりシロウ、ひと避けの結界は張れますか?」
「結界って…おいまさか!」
「分は弁えると言いましたよシロウ。
 しかし彼女も退魔の道にある者、あまり一般に知られるのは望まないでしょう」
「…遠坂に習った簡単な奴ならやれなくはないけど……まぁ道場じゃ藤ねえや桜がいて全力出せないだろうしな。…わかった」

 対する薫は、信じられないといった顔をしていた。
 まさか全世界にその名を轟かせる伝説の騎士、アーサー王と遭遇する事になるなど。そしてそれが轟く英雄伝に反して愛らしいほどの華奢な女の子である事も。
 そして、そんな彼女が自分の申し込んだ辻斬り同然の「試合」をあっさり受理してくれた事も驚きに値した。確かに彼女はそれを望んだが、即刻受理してくれるなんて予想もしなかったのだ。
 連れらしい少年が胸にかけていたペンダントを手にした。何か外国語を唱えると、
「…?」
『西洋魔術です。結界を張ったようです』
「…連れも只者じゃない、言う事か。こりゃ本家に言ったら大騒動かもしれんな」
 西洋魔術の存在は薫も知っている。それらが武闘派ではないものの一般的な意味でのまともな人間なぞ例外なく存在しないという事も。それは噂に聞く基督教会の「代行者」同様、知識としては理解していた。
 だが日本には独自の退魔組織や魔の一族などが存在する。それらと彼ら西洋魔術師たちは折り合いが悪く、日本にも少しいるがそのほとんどは身を隠していると聞いていた。
 冷汗が出た。
 確かに薫は退魔道の剣士としては屈指だ。しかし陰陽やその他の術を駆使するとなると全くもって苦手。それらは薫にとっては畑違いでもある。薫の莫大な霊力は十六夜や御架月といった霊剣を振るう時のみ発露するものであり、それ以外に彼女自身がそれを使う術は少なくとも現時点ではほとんどない。
 しかも、今から対峙するのはまぎれもなくある時代のアルティメイテッドワン、つまり究極の一だった超のつく剣士。そのような者に自分の剣が届くのか。
「…よしいいぞセイバー。準備はできた」
「感謝しますシロウ。
 さて剣士カオル。戦いの前にひとつ言わねばならない事があります」
「…なんね」
 脳裏の悩みとは別に、既に薫の精神は戦闘状態にチェンジしていた。
「私の剣は平時、風王結界というものに包まれていて視認する事ができません。
 これはいわば鞘のようなもの。このまま戦うのは不公平だし貴方には侮辱でしょう。
 ですが、この結界を外し本来の姿で貴方と打ち合えば、貴方の剣は間違いなく折れる」
 確かに。
 彼女がアーサー王ならその剣は音に聞こえたあの聖剣エクスカリバーに違いない。いかに彼女の剣でも、そんな怪物と打ち合えばどうなるかわからない。ただでさえ日本刀と西洋剣ではありようが違いすぎるのだし。
 だが、薫は笑った。恋人が見れば戦慄しかねないほどの壮絶な笑みだった。
 どうやら完全に、戦士としてのエンジンがかかってしまったらしい。
「心配はいらん。
 うちは見えざるものを見、斬れざるものを斬る退魔の剣士。たとえ相手がかのエクスカリバーであろうと、見えぬ道理はない。
 それにこの『十六夜』は日本刀であって日本刀にあらざるもの。魔剣妖剣と打ち合ったくらいでおかしくなるようなヤワなものとは違う」
「…」
 その言葉に、セイバーは本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「いい目をしますねカオル。この時代にかような戦士と合いまみえるとは嬉しい限りです。
 ですが注意なさいカオル」
 そう言うと、淡い光がセイバーを包んだ。
「!」
 次の瞬間、セイバーは中世を思わせる蒼い甲冑姿に変わっていた。
「お、おいセイバー」
 慌てたように少年が声をかける。だが、
「騎士としての礼儀ですシロウ。彼女に対して完全武装で臨まないのは侮辱というもの」
 そうして、風の結界をはらんだ見えない剣を手にとった。
「…なるほど」
 対する薫はセイバーの剣を見て、うんうんと頷いている。
『どうですか薫。戦えそうですか?』
「…問題ない。えらく強靭な結界じゃが…強すぎる。うちらにとっては『見てください』って言ってるのと変わらん」
『ふふ、そうですね』
 退魔の者は結界や封印の呪法も扱う。薫自身は専門外だが、その結界の強さゆえに視認はしやすかった。
 むろん精霊の結界なぞ彼女に解けるわけではないが、この場合それはハンデにはならない。
『しかし…物凄いエネルギーです。油断すると両断どころか蒸発させられかねませんよ薫』
「怖いか?十六夜」
『正直言えば怖いです。ですが今の薫を見て止められるとは思いません』
「…?」
 一瞬、不思議そうに十六夜を見つめる薫。いったい十六夜は何が言いたいのかと。
『好きに戦いなさい薫。私は、私自身と貴方を守るために全力を注ぎましょう』
「あ、ああ」
 薫にはわからなかった。
 しかしそれは無理もない。ずっと薫を見てきた十六夜だけが知る事だったのだそれは。
 彼女は本来戦いを嫌う。力も技もあるがその本質は全く剣士に向かないのだ彼女は。あまりにも優しすぎ、あまりにも傷つきやすいのだから。
 その薫が、どうしようもなく(たけ)っていた。
 アーサー・ペンドラゴン。龍と精霊の加護をうけ、聖剣エクスカリバーを携えた伝説の騎士王。
 そんな者と自分が戦える。人々の怨嗟の声もなく純粋に戦いを楽しめる。その事実が薫を震わせていた。楽しくて仕方がないのだ。恋人と楽しい時間を過ごす時とは別の意味での、完全にむきだしの彼女の姿がそこにあった。
 彼女を我が子のように愛する十六夜に、その笑みを止める意志はなかった。



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