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『終章・川の字(2) ふれあい』

 
 さてその後。
 いつものように帰ろうとすることみだったが、もともと来たのが遅かった事もありほとんど真夜中になってしまった。そのため朋也が送ろうと言い出し、大丈夫と言うことみと真っ正面から激突してしまった。頑固者ふたりが膠着状態になりかけた時、汐がふたりの間に割り込んで一石を投じた。すなわち、
「ことみちゃん、おとまり」
 ようするに、泊まれと言ったのだ。
 突然の汐の発言にことみは一瞬固まった。だがことみより劇的に反応したのは当然ながら
「な……!?」
 そう、朋也だった。
 実の所、汐はかなり人見知りのする子だった。朋也と住むようになる前は大変おとなしい子で、幼稚園でも友達などいずいつも「なべーなべー」とボタンと遊んでばかりいる子だった。また渚の恩師であり伊吹先生の妹にあたる風子という女の子がいるのだが、彼女など汐ととても仲良しであるにも関わらずその風子にすら泊まれと言った事もない。それどころか祖母である早苗さんにすら自分から勧めた事なんて一度たりとてないのである。
 アパートの狭さもある。しかしそれ以上に汐にとり、この家は『パパとママと自分の空間』なのだろう。古河パンと違って部屋が事実上ひとつしかない事もあり、家というより部屋に近い認識なのに違いない。だから「よそのひとは泊められない」のだ。たとえどんなに親しくとも。
 それを朋也は知っていた。だからこそ汐の『泊まれ』発言に仰天したのはむしろあたりまえだった。相手がことみである以前にまずそれに驚いた。
「汐……おまえ今」
 なんて言ったんだ、と朋也が聞こうとしたがその前に汐はことみの服を裾を掴み、こう言った。
「ムサクルシイトコロデスガ、ヨロシケレバドウゾ」
 ものすごく棒読みだった。どうやら意味がよくわかってないらしい。
「汐。おまえそんな言葉どこで覚えたんだ……ってことみ?」
 ことみは朋也に『心配ない』と微笑むと汐の手をとり、うやうやしくおじぎをした。そして、
「はい、よろしくお願いしますなの」
 そう言ったのだ。
 さて、そうなるとおいてけぼりの朋也が黙ってはいない。一瞬『ぽかーん』状態だったのだがやがてハッと我に返ると、
「ま、まてまてまてまてちょっと待てことみっ!」
 遅まきながら朋也も事の次第に気づいた。汐の行動も驚きだがそれ以前に大事だった。なにしろこの部屋には渚とその母である早苗以外、大人の女性が泊まったことなど一度たりとてないのだ。あたりまえの話だが。
 もちろん、非常に打ち解けたとはいえことみと朋也もそういう関係ではない。
「汐ちゃんの許可はいただいたの。朋也くんとおやすみするのはえっと……たぶん十五年ぶりくらいなの。とっても楽しみ」
 ことみはとても嬉しそうだった。子供のようにニコニコ笑い夢みるように頬を染めた。
「えー、いっしょにねたことあるの?パパと?」
「うん、お昼寝だけど。汐ちゃんくらいの時かな」
 汐と楽しそうに昔話なんかはじめちゃったりしている。
「っておいっ!待てってのにことみっ!」
 朋也は大慌てでことみの肩を掴み、自分の方に向かせた。
「どうしたの朋也くん」
「おまえ、この狭い部屋に泊まるって意味わかってんのか?布団はあるが、三人で寝ようとしたらくっつけて寝るしかないんだぞ?」
「わたしはかまわないの。……朋也くんが、わたしなんか嫌だって言うなら帰るけど」
「う」
 そう言われると朋也は何もいえなかった。
 なにより、朋也は背後から無言のプレッシャーを感じていた。汐だ。振り返る必要もないほどあからさまに、どうしてそんな事言うのいいじゃない泊まるくらいパパのけちんぼーと言わんばかりの視線が朋也の背中にビシバシ叩きつけられていた。
 そも、ひとり娘を敵にまわして勝てる子煩悩パパなぞ存在するわけがない。ことみと汐に前後から挟まれ、朋也は頭を抱えた。
「ダメ?」
「かまわないが……本当にいいのか?」
「問題ないの」
 ことみはそう言って、にっこりと頷いた。朋也はその笑顔を見て腹をくくったのか、『そうか』とそれだけ言った。
「じゃ、テーブル片付けるか。汐、幼稚園の先生に渡されたものはないか?」
「ない」
 いつもなら杏の名前を出す朋也だが幼稚園の先生と言った。それは微妙な心境の変化を意味したが突っ込む者はこの場には誰もいない。
「よし、じゃあそっちはいいな。ことみ、そっちの箪笥に渚の使ってた服がある。下から二番めにパジャマがある。パジャマならある程度フリーサイズだから何とかなるかもしれん。着られそうなの探してみてくれ」
「わかったの」
 胸のサイズ等を考えると朋也のものが一番なのだが、自分で自分を窮地に追い込む趣味は朋也にはなかった。渚の服を着ろというのは失礼にあたるのではないかと思った朋也だが客人用のパジャマなどここにはないし、自分のものを着ろというよりはマシだろうと思ったのも事実だ。
 対することみは気にした様子もなく、言われた引出しを開けて中をあれこれ見はじめた。それを横目で見つつ朋也はテーブルを畳み部屋の隅に置いた。細かいごみをさっさと片付け、軽く床を掃いてから押し入れに手をかけ、
「あ〜そういやことみ、風呂入ったのかおま……!」
 おまえ、と言いかけて朋也はあわてて口を塞いだ。自分の失言に気づいたからだがしかしもう遅い。
「あ、お風呂」
 ことみも言われて気づいたらしい。少し困った顔をした。入りたいけどわがままは言えない、そんな顔だった。
 しかし朋也がフォローに入るより前に汐が反応した。しかも朋也にとっては最悪の形で。
「わいてる。わたしはさきに入った。パパはことみちゃんまってて入ってない」
「あ、そうなんだ」
 だから、と前置きして汐は言った。
「ふたりで入ればいい。テレビ見て待ってる」
「ことみ、先に入ってくれ」
「ううん、朋也くんが先なの」
「は?いやおまえお客さんだし」
「気遣い無用なの。朋也くんが先」
 またもや譲らぬふたりだった。
 こういう光景にももはや慣れっこなのだろう。汐はひとりで押し入れを開け自分の布団に手をかけながら言った。
「パパ、いじっぱり。いっしょに入ればいいのに」
「な、お、おおおい汐っ!」
 五歳の娘に突っ込まれ大慌てする朋也。かなり情けない。
「……」
 対することみはさすがに真っ赤になった。だが朋也よりは肝が座っているらしく、汐の顔を見て無言でこっくりと頷いた。そして、
「汐ちゃんにも一理あるの。このままふたり別々に入ったら間違いなく午前様だし、汐ちゃんをこれ以上遅くまで起こしておくのも感心できないの」
「確かに、それはそうだが」
「入ろ。朋也くん」
 満面の笑みを浮かべ朋也の手をとり、ことみはそう言った。



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