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『終章・川の字(3) お風呂』

 あたりまえの話なのだが、たった五歳の汐に男と女のあれこれを理解しろという方が無理な話である。
 汐にとってことみはかなり特異な存在にあたる。父をこわいひとから優しいパパに変えた存在だからだ。自分とパパだけでなく、もういないママのことも大切にしてくれる存在でもある。風子と違って友達のカテゴリではなく、杏のように『せんせー』でもない。もちろん早苗やあっきーとも違う。ことみはことみでありそれ以外ではない。
 仮にことみが『ママのかわりになりたい』なんて言ったりパパが『あたらしいママほしくないか』なんて言ってたら汐はたちまち拒絶したろう。だがふたりともそうしなかった。ことみは子供の頃に父母を失っているわけで、だから汐にとってのママが特別であることも理解できた。そして朋也にとっての渚の大きさもよく知っていたのだ。
 朋也は朋也で、渚よりことみが好きかと言われると返答に困ったろう。確かに好きなのだけど渚を忘れられるわけがない。もっと歳老いていれば割り切れたろうが、所詮二十代なんて十代の続きでしかないのだ。まだ若さをひきずりすぎているし(ずる)さを学ぶにも少し早い。だから『解答不能』のままずるずるとふたりは『朋也くんとことみちゃん』を続けていた。
 しかし、そんな微妙さが汐に理解できるわけがない。汐にしてみれば『パパとことみちゃんはとってもなかよし』なんて確定事項だし『ことみちゃんは、パパのそばにいてもかまわない』存在なわけで、だからお風呂くらい一緒に入って当然という頭しかなかった。何が悲しくてわざわざ別々に入るのか。一緒に入れば楽しいだろうというわけだ。
 ちなみに三人で入るという選択肢はなかった。岡崎家の風呂は三人にはちと狭すぎるからだ。そもそもこの風呂はひとりが湯舟、ひとりがかけ場にあってはじめてふたりで入れる程度の広さでしかない。ふたりでかけ場に並ぼうものなら大密着大会になってしまうのである。
 とにかく『なかよしなんだから素直に認めなさい』と小さな娘に風呂に叩き込まれたふたりだったが当然ながら恥ずかしさ全開だった。特に朋也はガチガチに硬直したものを隠そうと必死だったのだが、並んでかけ場に座ったものだから本当にぴたりと密着してしまった。で、ことみがちょっと身動きをとろうしたはずみでタオルがぽろりととれてしまったのだが、密着しているから直すこともできないままタオルは完全に外れてしまった。当然朋也も同様なわけで、ふたりしてすっぽんぽんで真っ赤になって並び座っている姿はかなり間抜けな光景ではあった。
 どちらかが湯舟に浸かればいいのだが、タオルが外れているものだからどちらも立てなくなってしまっていた。
「……ふう」
 しかしここでも覚悟を決めたのはことみだった。真っ赤になりつつ「うん」と頷くと朋也に顔を向けた。
「朋也くん」
「な、なんだ?」
「このままじゃ埓があかないの。とりあえずかけ湯して浸かるの」
「ちょ、ま、まて!」
 当然だが朋也は焦った。そんな事されたら隠すものも隠せないばかりかそれ以前に理性も保てないからだ。
 だがことみの言動はそんな朋也のさらに斜め上をいっていた。
「もしかして、がまんできないの?」
「!?」
 ずばり言い当てられて二の句が継げない朋也にさらに追い撃ちをかけた。
「いいよ。朋也くんならかまわないと思ったからそのまま入ったんだもの」
 それはそうだろう。いくらなんでもことみは女だ、わざと汐の策に乗ったに違いない。
 あわれ、逃げ場を完全になくした朋也はパニックに陥っている。
「い、いや、まてことみそれはその」
 困りはてて錯乱ぎみの朋也にことみは笑った。
「ほら朋也くん。脚あげてこっちむいて。ほら」
 言うまでもないがことみは処女である。しかし科学者としての目がある。哺乳類の交尾一般なら何度か見た事があったから、そうした事から朋也を落ち着かせるには自分から動いてあげるのが一番だろうと冷静に判断したまでのことだった。
「ぅお」
「ふふ。朋也くん女の子みたい」
 そうして、狭い風呂場で最初の秘め事がはじまることになった。
 
「……」
 風呂場からお湯の音と小さな苦悶、そして押し殺されたあえぎ声が聞こえている。
「……」
 そこには爆睡中の汐がいる。ふたりがイチャイチャとくっつくのを確認したところで意識が落ちたのだろう。大仕事を終えたような満足げな笑顔がそこにあった。
 まぁ、この歳でお風呂えっちシーンなんて聞く羽目にならずにすんだのは幸か不幸か。寝相が激しく悪いがこれは二十分後に風呂場から出てきたふたりに綺麗に直される事になるから問題あるまい。今は手足をぽーんと投げだし幸せそうに寝ているので十分だろう。
 どんな夢を見ているのか。おそらくは三人でどこかに行っている夢だろう。たべる、とかママはこっち、とかいうつぶやきも聞こえるから、渚の遺影と四人でお弁当を食べているシーンではないかと思われた。
 ふとその部屋の中に、ひとつの光が舞い降りた。
「…」
 それは汐を包んだ。光の向こうにはぼんやりと誰かのシルエットが見えた。シルエットは汐の頬を優しくなで微笑んだ。そしてその口がゆっくりと動いた。
『ごくろうさま、しおちゃん』そう言っているようだった。
 そしてそのシルエットは、だんご♪たんご♪とやさしく、やさしく歌い続けていた。



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