[目次][戻る][進む]

安らぎ

 姉さん。彼女は俺をそう呼んだ。
 悲しくはなかった。俺に訪れた異変を彼女は受け入れてくれ『兄さんだろうと姉さんだろうと帰ってきてくれた事には変わりないもの』と優しく抱き締めてくれた。
 なんというか、秋葉らしい再会だったと思う。
 翡翠や琥珀さんですら最初俺が俺だとわからなかった。先輩がせいいっぱい説明してくれて、そしてまず翡翠が納得し、最後に琥珀さんもあきらめたかのように納得してくれたんだ。もっとも翡翠は俺が俺である事はすぐに理解したうえで、むしろ「どうして変わってしまったのか」についてしつこく先輩に問い質していたみたいだけどまぁそれはそれ。それぞれ、あたり前といえば当り前の反応だったと思う。
 
 だって。
 この身はもう『遠野志貴』とはいえない。
 七夜の生き残りであり身体の壊れた少年はもういなくて、ここにいるのは遠野秋葉をそのままコピーしたような、そんな存在にすぎないのだから。
 
 なのに。
 なのに秋葉ときたら「え?」という顔でしばし固まった後「兄さん、ですか?まさか」って言ったんだ。
 これには本当に驚いた。だってさ、自分と瓜ふたつの女の子がいきなり現れたんだぞ?なのに、いきなりこれなんだから。
 まぁ『痕跡』のせいだと後で聞かされた時は「なるほどね」って思ったんだけど。
 
「おはようございます姉さん」
「ん、おはよ」
 目覚めると、そこには秋葉の顔があった。
「……ん……?今朝はどうしたの?秋葉」
 珍しい。翡翠でなく秋葉が起こしてくれるなんて。
「覚えてないんですか?昨夜体調崩されたんですよ姉さん」
「そうなの?」
 はい、と秋葉はうなずいた。
「琥珀は食事の準備をしています。翡翠はずっとついていたので今は休ませてます」
「そうか。ん?じゃあ秋葉(おまえ)は?」
 秋葉の顔をみるに、翡翠ひとり付かせて自分は自室で寝ていた?
 いや、それは何か違うような気もするが。
「……」
 無言で窓と反対側の壁を指さす秋葉。と、
「なるほど」
 そこには、仮眠できそうなくらいのフカフカしたソファー、それに毛布があった。
「最初は私も見ていたんですが、気づいたらあれに寝かされてました。琥珀でしょうね」
 ふふ、と微笑む笑顔は、ちょっと不本意そうでもあった。琥珀さんに無防備なとこをさらしたのが悔しいらしい。
 なんだか面白い。あんなに仲がいいのに……っていやこれはむしろ「仲がいいがゆえに」なのか。
 それにしても。
「……また倒れたのか俺?全然記憶にないんだけど」
 そうでしょうね、と秋葉は頷いた。
「夜半すぎに玄関で倒れているのを琥珀が見付けたんです。寝ぼけてお庭をうろうろしてたんじゃないかって」
「へ?」
「外には出られませんからね。兄さんの頃は知りませんけど今の姉さんじゃ」
「……そうか。そうだな」
「まだココロと身体の整合がうまくとれてないのかもしれませんね」
「ふむ」
 そういや、先輩もそんなこと言ってたっけ。
 俺の身体は、七夜である俺本来の属性と遠野である秋葉の属性の混沌となっているらしい。いろいろとおかしな事があるのはある意味無理もないことなのかもしれない。
 あれ?
 そういえば先輩にその話を聞いた時、他にも何かあったような……?
 ふと見ると、秋葉は穏やかに笑っている。目は笑ってないが。
 ──何か隠してるのか。たぶんそうだろう。
 俺は笑って秋葉の頭に手をやり、髪を撫で頬を伝う。
「なんですか姉さん」
「……いや別に」
「そうですか」
 そう言いつつ、くすぐったそうに秋葉は首をすくめた。
 
 確かに俺は変わったんだろう。いろんな意味で。
 以前の俺ではなくなっている。「線」の見える目もそのままだけど身体の負担はむしろ少なくなった。いやむしろ、定期的に使わないと苦しくていられないほどにすらなっている。
 それはきっと、ガス抜きのようなもの。
 本来の俺なら持て余し自滅してしまうだろう秋葉の身体だけど、他ならぬこの『目』が異端の力を使っているのか、あるいは『目』を使う事による身体の負担をバックアップしているのか……まぁそんなところなんだろうと思う。
 それが何を意味するのか今の俺にはわからない。
 わからないけど、少なくとも貧血でしょっちゅう倒れるような事はもうないはずだ。
 何も問題はない。むしろ以前よりいいくらいだ。
 その、……ただひとつの問題さえ除けば。
(ねえ)さん」
 秋葉の恍惚とした声が、俺の身体をまさぐる。
「秋葉、だめ」
「何がダメなんですか。それとも、姉さんは私が嫌い?」
 そんなわけ、あるわけがない。
 秋葉は義妹で、そして俺の女。あのシキにだってそう言った。それは今も変わらない。
 ──だけど。
「秋葉」
 俺は、のしかかってこようとする秋葉を優しく、でもしっかりと斥けた。
「……」
 秋葉は、そんな俺に不満たらたらのようだ。
「姉さん。どうしてですか」
「どうしてって秋葉、もう朝だぞ。琥珀さんや翡翠を待たせる気か?」
 
 そうだ。
 秋葉と同じなのは姿だけじゃない。中身もだ。つまり俺はもう男じゃない。
 
「……今日はおやすみだからいいんです」
「そんなの秋葉らしくないぞ。どうしたんだ、最近変だぞ?」
「知りませんよそんなの」
 不機嫌そうに秋葉は腕組みをした。なんか睨んでるし。
「きっと兄さんが姉さんに変わった時の影響でしょうね。私にもいろいろと影響出てますし」
「……」
 それは卑怯だ。それを持ち出されたら俺は何もいえない。
「ま、確かにそうですね。琥珀や翡翠を無駄に困らせるのも悪いわ」
 すっと立ち上がり、秋葉はいつもの顔に戻った。
「そのかわり姉さん、あとでお風呂入りましょう」
「はぁ!?」
「はぁ、じゃないです。今の姉さんはお風呂の入り方もわからないわけですし、琥珀も翡翠も自分の仕事があるわ。お休みである以上私がするのが一番合理的でしょう?」
「……それはそうなんだけど」
 大丈夫なのか、という俺の不安に気づいたのか秋葉はにっこりと笑った。
「心配しないでいいわ姉さん。私、お風呂とベッドの区別くらいつきますから。お風呂でそういう事をするのもある意味楽しいかもしれないけど、それは姉さんがちゃんと入れるようになってからの話です」
「なるほど」
「安心したかしら?」
「うん」
「……そこまであっさり信用されちゃったら、本当に何もできないじゃないですか」
「うん、秋葉はこういうとこちゃんとしてるから。信用してる」
「……!」
 秋葉はちょっと目を丸くしたあと、もう姉さんったら、と拗ねた。
 すねたけど、顔は赤かった。



感想メールフォーム


PLZ 選んでください(未選択だとエラー)







-+-
inserted by FC2 system