あれは、誰?
どうして私があそこにいる?どういうこと?
あれ?
あれれ?
「……?」
私は立ち止まり、首をかしげた。
「……」
『わたし』はそんな私をじっと見て、そしてつかつかと歩いてきた。敵意はない。ただ怒っているだけだ。
なぜ?
「……?」
『わたし』はふと眉をしかめた。私の目の前にくると、じっと私の顔を覗き込んだ。
そして、
「姉さんじゃ、ない」
「え?」
驚いた目をした刹那、ざざっと背後に飛び下がった。
「あの……え?ええ?」
私にはわけがわからない。いったいどうなっているのか。
「どういうこと?どうして姉さんじゃないの?」
「はい?」
いったい何が起きているのか、私にはさっぱりわからなかった。
『わたし』がそこにいる。そして私を姉さんと呼び……いや違う、姉さんじゃないと言ってる。
それはそうだ。私は私であって、私に妹はいない。
「いや、いきなり言われても、私にもわけがわからないんだけど」
「わ、わからないですみますか!」
『わたし』は私の反応が気に入らないのか、猛然とどなりだした。
「その身体は私の姉さん、遠野詩姫のものです!間違いなんかありえない。私は姉さんかどうか間違える事だけは絶対ないんですから!
いったい貴女……─────まさか」
「!」
あ。
今、何かがぱきっ───て。
トオノシキ、という名前を聞いた途端、致命的なナニカが壊レ──
「も、もしかして、もしかして姉さん……そんな!」
ぱりん、
ぱりん、
───────────割レ、タ。
「まさか人格も……そんな!」
「あ……あぁ……」
いけない。
その後を続けちゃイケナイ、ヤメナサイ。
「姉さん!姉さんしっかりして!私です秋葉です!姉さん!」
ダメだったら!
「秋葉様!秋葉様どうされたんですか?秋葉様!」
「琥珀早く来て!兄さんがおかしいの!早く!」
「は、はい!」
「詩姫様!」
──兄さん?
あ。
もうダメ。
壊れ
─────タ。
「───え?」
刹那、
世界が、
真紅、に。
目覚めた時、夕焼け空とアルクェイドの顔が見えた。
「おはよ」
「……おはよう、アルクェイド」
ちょっと複雑な顔をして、アルクェイドは微笑んだ。
「あら、わたしがわかるの?じゃあ貴女、わたしの可愛い子?」
「……わからない」
そう答えた。
「なるほど。まぁいいわ、今は考えなくても」
起き上がろうとしたら、アルクェイドに額をおさえられた。
「まだ寝てなさい」
「で、でも」
「いいから」
アルクェイドはそういうと、周囲を見た。
「……どうなったの?」
「わたしは途中からしかわからないわ。貴女か妹か、どちらかの『魔』が急激に脹れあがったからびっくりして見にきたの。
そしたら……あれはたぶん妹さんだと思うけど、風にとけて消えるところだった」
「たぶん?風にとける?」
ふう、とアルクェイドはためいきをついた。
「推測だけど、妹側の能力が発現したのね。わたしを殺した能力はあいつを消したものとたぶん同じ。あなたの元である少年が持っていたもので、魔には属さない無色の力だったから。
たぶん貴女、妹さんを吸い尽くしたのよ。命も心も、そして身体も、その全てをね」
「……」
涙が出た。
私が誰なのかは今もわからない。あれが『妹』といわれてもよくわからない。
……いや違う。
泣いてる。私を構成するどこかが悲しんでる。
アルクェイドの言葉を肯定し、そして嘆いていた。
あれは妹。私、または私でないわたしの妹。
泣き声が止まらない。
そんな馬鹿な、嘘だ、お願い嘘だと言ってくれと。
「まぁ、ちょっとだけなら予想はしてたんだけどね」
アルクェイドは肩をすくめた。
「だいたい、外見だけ遠野秋葉のフルコピーなんて不自然だと思わない?そこまで複写されたんなら人格面だって影響が出て当然でしょうに。
でも目覚めたのは元の少年の人格だけだった。不自然なほどにね。シエルは蘇生魔術の成功に泣いて喜んでたけど、わたしは『成功しすぎた』事をいぶかしんでた。おかしい、人格はどうしたのかってね。
あぁ、
ふう、とアルクェイドはためいきをつくと、私の頭を抱えた。
……えっと、もしかして、膝枕?
「わたしの疑念は的中した。
なまじ少年と融合しなかった貴女は、無垢な赤子のように純粋な『魔』としてひっそりと生まれる事になった。
で、夜の町で気ままに死体作って遊んでたのね。本体である少年の心に気づかれないように」
「……」
なるほど。
私が納得したのに気づいたらしく、アルクェイドは小さく
「今朝の記憶があるなら、帰るなって言ったわけもわかったでしょう?
貴女は自分の名前も記憶もまるでなかったけど、ある意味遠野秋葉そのまんまだった。瓜ふたつどころじゃない、命までつながった存在。もし彼女が完全な野育ちだったら、きっと貴女みたいな無垢なる『魔』になったんでしょうね。
ふたりは絶対に遭遇してはならなかった。いわばそれは同一存在の邂逅に等しいわけで、特に貴女は空っぽの非常に不安定な状態だった。夜にしか貴女が現れなかったのもそのためだし、朝が近付くと何がなんでも帰ろうとしたのもそのため。遠野秋葉が起きている時間には少年側の人格に戻らなくちゃならない、そう本能的に理解していたからよ。
『オリジナルの遠野秋葉』に出会ったら最後、何が起きるか予想もつかなかったから」
アルクェイドは空を見あげた。
「本当に、最悪のケースになっちゃったわね。まさか相手を相手と認識した途端それを本能で全面否定、いきなり喰らい尽くしてオリジナルになり変わろうとするなんて」
「……」
アルクェイドは悲しそうだった。出会ったばかりのはずの私なんかのために、本当に悲しんでくれているみたいだった。
「ごめん、本当にごめんね。今さらもう遅いけど、もっと強引に引き留めてあげればよかった」
「……」
そんなこと。間違ってもこれはアルクェイドのせいではない。
私は起き上がり、まわりを見た。
「……」
遠野家玄関、門の裏の場所だった。
門がなくなっていた。何か巨大なものがぶち抜けたように大穴が空いていて、玄関までの一部と屋敷自体も部分的になくなっていた。さらに屋敷前面の全ての窓は粉々に割れている。
そして、
「──」
まだ残る強烈な血の匂い。そして、何かが瞬時に粉砕されたらしいミンチ状態の血と肉が、玄関まわり全体に散乱。すでに腐臭も発していた。
「──」
振り返れば、玄関の外には焼け焦げたような、瞬時に氷結したような跡。
「──」
それは、『遠野志貴』の家族だったもの。
「泣かないの?」
泣かない。泣く資格が私にはない。
「殺した私が泣いたら、それ冒涜だよ。泣いていいのは遠野志貴だけ。私は遠野志貴じゃない」
「……」
アルクェイドは何もいわず、私をだきしめた。
「……アルクェイド?」
「ばか。泣いていいのよ貴女は」
「でも」
「今朝までの貴女ならそうでしょうね。だって空っぽだったんだもの。
でも今の貴女は違うでしょ?人格ベースがたとえ違っても『彼』の記憶はちゃんとあるんでしょう?
つまりそれは、貴女が遠野志貴を継承したということ。わかれていたものが混ざりあい、貴女という存在に帰結したということ。
貴女は志貴であり詩姫であり別のナニカ、そしてわたしの可愛い子。それら全てよ」
「でも」
私がそれでも否定しようとすると、アルクェイドは微笑んで私の頭をなでた。
って、私ゃ子供か!
「子供でしょ?今朝まですっからかんの真っ白だったくせに」
「……」
否定できない。
「もっとうまくやれば、なんて無意味な後悔もやめなさい。それは卵とニワトリの論理、無意味よ。そうでしょう?オリジナルの遠野秋葉との遭遇という究極の矛盾がこの事態を引き起こしたわけだけど、人格の統合をもたらしたのもその矛盾なのよ?
ひとは全能じゃない。突発的なひとつの事象からいいとこ取りなんて奇跡はありえないわ」
そこまで言うと、アルクェイドは考え込むように腕組みをした。
「これは推測だけどね、おそらくこれは遠からず起きたことよ。いい?
どちらにしろいずれ貴女は噂になった。遠野の家はこのあたりを統括する『魔』だったのでしょう?ならば必ず調査に乗り出したはずだし、それは遠野秋葉本人が行った可能性が高いわ。
で、そこで『狩り』の最中の貴女と遭遇したならどうなったかしらね?」
「!」
アルクェイドの言いたい事が私にもわかった。
「この状況から能力を推定するに、遠野秋葉の能力は不特定多数に大規模に展開も可能のはず。破壊的用途でぶつかり合えば最悪、市街の中心部は壊滅したかもしれないのよ。しかも同族または教会の者の目でみれば、これは彼女の仕業ですっていう証拠を盛大に残す形でね。
最悪の場合、埋葬機関のあの娘……シエルといったかしら?あの子が妹を殺しにくるような事態になったかもね」
「!!」
「自分が殺した?自分は遠野志貴じゃない?自分が誰かわからない?
関係ないでしょそんなこと。
悲しければ泣きなさい。腹が立つなら怒りなさい。憎いなら憎悪を燃やしなさい。
全てはそれからよ。自分を断罪したいならその後になさい。自分が許せないならその後どうするか改めて考えればいいじゃない。なんでそれがわからないの?」
「……」
「あ〜〜もう!わたし『説明』ってなれてないんだってば!自分でも混乱してきちゃった。イライラするなぁもう!」
アルクェイドは困ったように少しかがみ、まっすぐ私の顔を見た。
自分のことじゃないのに、彼女は泣いていた。
……私なんかのために。
「ほら」
「え?」
「いいから……そんな人形みたいなひどい顔はやめなさい?」
「!」
その瞬間、私の中の何かが弾けた。
その後どうなったか私は覚えていない。
気づいたら、私はアルクェイドの腕の中にいた。マンションの屋上にいて、燃えさかる丘の上の屋敷をじっと見ていた。
「落ち着いた?泣き虫さん」
「……うん」
私とアルクェイドはいっしょの毛布にくるまり、じっと燃える屋敷を見ていた。
もっとも、アルクェイド自身は寒さを感じるわけではないだろうから……これはきっと、震えるだけの私のために、自分ごと無理矢理くるんでくれたに違いない。
「……消防とかこないね」
ただ燃えてるだけ。周囲には誰もいないようだ。
「結界で包んであるの。普通のひとには普段通りに見えているはずよ。
完全に燃えつきた頃に結界も解けると思う」
「なるほど」
つまり、一夜にして灰燼と化すわけか。
「あの家には魔に関する資料や情報がふんだんにあったわ。警察はもちろんだけど、シエルたちにもなるべく何も残すべきじゃない。
この国に残る他の魔の一族にも被害が広がったら困るでしょう?わたしにはどうでもいいっちゃいいんだけど、貴女には重要なことよね」
「……」
「なに?」
「……」
私は少しだけ考えると、
「……名前、
「そ」
それだけ答えた。