どんな神秘であろうと、死者を甦らせる業など存在しない──シエル先輩はそう言った。
アルクェイドもそれは正しいと言った。死者を甦らせる方法はない。たとえ五つの魔法を持ち込んだところで、完全に死んでしまった者を甦らせる方法などない。たとえ妖精郷につながる究極の防御壁を持ち込んだとしても、既に失われた命まで回復させることはできないんだと。
「兄さん」
ベンチでふと気づくと、秋葉が隣に座っていた。
夢とは優しくも残酷なものだ。俺自身が壊してしまった誰よりも大切な
いや、あの頃ではもう珍しかった優しい笑みまで浮かべて、もう焼けの原になっているはずの遠野家の庭でふたり、ひだまりのベンチに座っているんだ。
──俺には許されるはずもない、俺自身が壊してしまった安らぎ。
「何泣いてるんですか兄さん?」
横からそっと俺にもたれかかり、ハンカチで涙をふいてくれた。
……また涙が出た。
「しょうがないですねえ。いつから兄さんはそんな泣き虫になったんですか?」
もともとだよ。悪かったな。
「はぁ、困った兄さんね。ほら、秋葉が膝を貸してあげますから」
気がつくと、逆らうひまもなく膝枕されていた。
って『秋葉』って懐かしいな。再会してからはいつも『私』だったのに。
「……」
ああ違う。あの日、弓塚を殺してしまったあの夜、一度だけ──
「……」
ぽかぽかと太陽が心地よい。頭は秋葉の膝の上。見上げると幸せそうに笑う秋葉。
失ってはじめて気づく、何よりも大切だったはずのもの。
「……ごめん」
「え?」
また涙が出た。
「ごめん、ごめん秋葉。俺は」
「また泣く〜。もう、だめですよ兄さん、男の子がそんな顔しちゃあ。
ま、私を取り込んじゃったんだから、おしとやかで可愛くなるのは仕方ないですけど?」
「それはない」
「……兄さん!」
「あ、あひは。
「もう!」
鼻をつまんでグイグイやられてしまった。……あいたたた。
「……まぁいいですけどね。
私、結構今の状況が気に入ってるんですよ?遠野の長女の責務ももうありませんし、あんな窮屈な暮らしもしなくていい。いつだって兄さんと一緒。
ええ、もう死んだって離れないわ」
「……」
うっとりと告げる秋葉。いつのまにか髪まで赤い。
そして、そっと頬ずりされた。
「兄さん……もう離さない。秋葉はずっと、ずーーーーっと一緒ですよ?」
とても心地よい気分だった。
赤い髪が俺を包んでいく。俺は髪に絡み取られ、動きがとれなくなっていく。
「ほうら、もう逃げられない……うふふ。兄さんは秋葉のもの。もう、ずーっと」
ああ、そうだ。俺はおまえのものだ。この身体も、この心も。
……だけど。
だけど、鼻がちょっとずきずき痛んでいるのが間抜けではあった。
「で、起きたら鼻の皮が剥けてたのね?」
「うん、なんだかなぁ……ってレンちゃん痛い痛い!」
レンちゃんってば、いきなり私の頭をむんずと掴んで、舌で私の鼻を舐めにきたんだけど……
痛い、すんごい痛い!
「手当てしてくれてるのよ。ちょっと痛いけどそのくらいなら、レンの好きにさせとくといいわ。すぐ直るわよ?」
「へぇ……でも痛い」
「がまんがまん」
「うー」
私が嫌がるのがわかるのか、レンちゃんは舐めかたをちょっと優しくしてくれた。……まだ痛いけど。
うう……なんなのこの舌。猫?
アルクェイドはそんな私とレンちゃんをみて、面白そうに笑っている。
ここはアルクェイドのマンション。時間は朝。窓の外は明るくて、私たちはフローリングの一室で朝食を食べていたりする。
食事はアルクェイドが買ってくれたもの。吸血鬼の彼女は料理なんて当然できないし必要ないとかでここには材料がない。それでも私のためにいくつか買ってきてくれたみたいだけど、そもそも料理をまったく知らないひとの選択だ。おまけに私も料理にそう詳しいわけじゃないから、あった材料でできたのは目玉焼きだけだった。
で、レンちゃんは食べないけどアルクェイドは『食事』に興味があるらしく、私の指示でサラダだのおにぎりだの追加で買ってきてもらってあれこれ食べているというわけ。
え?なんで私がでないのかって?
そりゃあ、行方不明の遠野秋葉がそこら歩いてたらまずいでしょうよ?中身がどうあれ私の外観は遠野秋葉そのものなわけで、少なくとも昼間は迂闊に歩くわけにはいかない。
夜だって注意が必要。へたに知人なんかに出くわしたらどうなるか。
「それにしても、どうして夢で本物の鼻の皮がむけるのかなぁ?」
「夢じゃなかったからでしょ?」
あっさりとアルクェイドは答えた。
「わたしにはよくわからないけど、貴女は妹を『取り込んだ』んでしょう?何かを食べてその能力や性質、記憶を取り込むというのは幻想種の類ではそう珍しいものではないわ。
貴女の中の『魔』も、おそらくとその手のものなのね」
「……」
「納得いかないって顔ね?」
「うん」
それはなんだか、秋葉を殺した自分への誤魔化しに思えた。
秋葉を、翡翠や琥珀さんをなくして悲しいのは事実。だけど、彼女らを殺してしまったのも私なんだ。
それは変えられない、そして絶対に許されない罪。
「こんなこと言ったら怒るかもしれないけど」
「え?」
アルクェイドはそんな私を見て、ぽつりとつぶやいた。
「わたしも昔、そんな顔したのかなって」
「え?」
「昔ね、わたしは、わたしを創った者や管理しててくれた者たちを皆殺しにしたの」
え?
「……なにそれ。どういうこと?」
「どういうもなにも、そのまんまよ。
ロアって奴の話をしたでしょ?そいつがわたしを罠にかけて狂わせたの。当時のわたしは以前の貴女みたいに何も知らない真っ白な子でね、あっさりイカれて暴走しちゃった。
気がついた時には、わたしの千年城にはもう誰もいなかった。生き延びたらしいのはゼルレッチじいやとか、本当に一部の者だけよ。ほかは皆殺し」
「……」
「今にして思えば不可抗力だったと思う。わたしはほんとに何も知らない『からっぽ』のお人形で、自分に何が起きたのかを正しく知ったのでさえ、ずっと後のことだった。
言っちゃなんだけど、あいつがどうしてそんな事をしたのか、それも知らないの。強大な死徒になりたい、ただそれだけなら他にも手はあったはずなのに、どうしてあんな方法をとったんだろう?
まぁ、今となっては知りようもないわ。聞くつもりもなかったけどね。
今の世の中に『真祖』に区分けされる吸血鬼がわたししかいないのはそのせい。誰でもない、このわたしが皆殺しにしてしまったからなのよ」
「……そうなんだ」
にこにこ笑ってるアルクェイドにも、そんな過去があるのか。
「──あ」
「ん?どうしたの?」
「……ううん、なんでもない」
なんだろう?今なにか見えた。
「ねえ、アルクェイド」
「なあに?」
「こんなこと言ったら怒るかもしれないけど」
「え?……なぁに?いいわよ」
「そいつ、男だった?」
「え?ええそうよ?」
あ。じゃあもしかして。
「そいつ、アルクェイドが好きだったんじゃないの?」
「……へ?」
あっけにとられたような顔をして、アルクェイドは私をまじまじと見た。
「まさか。それはないわよいくらなんでも」
「そうかなぁ?」
その男がやったのってさ、アプローチそのものじゃないの?
だってそれって、わざと怒らせて気を引いたとしか思えないんだけど?
「ま、まさか、いくらなんでもありえないでしょ」
どう反応すればいいのかわからない。アルクェイドはそんな顔をしたかと思うと、
「もう……ばか」
「うにゃ」
私の鼻をむにゅっとつまんだ。
レンちゃんが綺麗に直してくれた鼻は、もうひりひりしなかった。