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悲しき安らぎ

 美しい異性とのんびりお風呂できるというと、大抵の男性はそれを悪い事だとは思わないだろう。まぁ、やりたい全開の若者ならば生殺しのような感覚を味わうかもしれないが、それだって悪いという事ではないに違いない。
 だけど、それはあくまで想像上の話にすぎないわけで現実に実現するとそれはそれで大変である。
 たとえば、お互いに異性経験のほとんどない若者だったとする。男の子も女の子もぎくしゃくしてしまってそりゃあもう大変だろう。むしろ女の子の方が先に度胸を決めて「背中流してあげよっか?」などとやりはじめ、真っ赤になってたじろぐ男の子の姿がそこには見られるのかもしれない。
 まったりと本当に仲良くお風呂を楽しめるのは既にそれなりの関係なのか、それとも一定の年代に達してからの話なのである。
 だが、ホシノルリの場合はどちらでもなかった。
 彼女の中身は男性である。といっても別に女装しているわけではなく、精神のみが時を越えてやってきてしまった男の子なのである。男盛りど真中の男性の精神が十歳過ぎの女の子の身体に入ってしまっているわけだ。
 そんな存在だから「女の子の裸のつきあい」なんて、とてもできる状態ではなかった。
 自分も女性になったなら堂々と入れて嬉しいだろうなんて言えるのは経験者でないからだろうとルリは思っている。特にルリはなまじ美少女であるから回りが放っておいてくれない。女性とは基本的に『女』には冷酷だが『子供』には甘い生き物。幼女じみたとは言わないが、いたいけな少女が隅っこで困ったように小さくなっていたらそれはもう、母性本能をお好きなだけ注いでください的生贄になってしまうわけで、大抵の大人の女性はいろいろと気を使ってくれるものだ。自分が年長者という自覚があったり母性本能に訴えたりするのだろうか。特に世話好きタイプなら最悪で、身体を洗ってくれたりトリートメントを手伝ってくれたり、同性なもんだからそりゃもう恥しげもなくやってくれるのである。拒んだら拒んだで仲良く普通にお風呂となるが、普段クールで寡黙かつ有能なルリがお風呂の中でおどおどと豹変する姿は総じて可愛らしいと写るらしく、悪い印象をもつ女性はほとんどいなかった。少なくともセンターの女性職員たちには、ルリとお風呂で同席するのは楽しいと評判であった。
 逆にルリにとり、誰かとのお風呂が烏の行水化してしまうのは無理もなかった。
 女の子になってしまった自分自身すら未だに持て余し気味だというのに、同じ女体にぐるりと囲まれ平気で日常が繰り広げられる。これだけで結構精神的負担だというのに、このうえ生理とか性に関する生々しい話までされてしまっては身の置き所がないだろう。ルリがちょうど初潮があったかどうかわからない微妙な年頃であるせいもあるのだろうが、特に生理関係の話は高確率で飛び出す傾向があった。しかしナデシコでは汚物処理はどうしてるのかしらールリちゃん知らない?などと言われても、そんなの知りませんと泣きたくなってしまうに至っては、さすがにルリの自業自得とは言いきれない何かがあるようにも思われる。
 閑話休題。
 ミナトに強引に引率され、立ち寄った自室でワケを聞いたホキ女史に笑って風呂道具と着替えを渡されたルリである。半泣きで風呂場に連行されたあげく脱衣場に押し込まれたというのに、気づけばミナトに「ばんざーい」といわれ、思わず無意識にばんざいしたらあっというまに上着をもっていかれた。きゃっと叫んで身を守ろうとしたがもう遅い。ミナトはまるで子猫でも扱うように実に巧みに、しかしあっさりとルリの身ぐるみをはいでいった。
 子供の扱いに異様に長けた謎の女性ミナト。熱海育ちという彼女の育成環境にいったい何があったのか。

「……精神的凌辱だよ」
「何かいった?」
「いえ、なにも」
 フラフラになって湯舟でふやけているのはルリ。頭に巻かれたミナト印のピンクのタオルがラブリーである。ホキ女史に持たされたタオルでなく自前のものを使うあたり、やけに準備のいいミナトであった。
 ていうか、いきなり出航直後からチェキる気全開なのはどういうわけなのかミナト女史。実は隠れ逆行者か、それとも歴史の大いなる歪みなのか。
 確かにミナトの子供好きは有名だ。史実でも白鳥九十九の死後、その妹をあたりまえのように引き取ったことからもそれは伺える。妹の方がミナトにとても懐いていたという事もあるのだが、それにしても彼女はそういう役柄がとても似合う。生きたオフィスラブのように当初いわれた彼女だが、それがありあまる母性本能のひとゆえの事であったのは当時のナデシコクルーならだれでも知っていることだ。
 ルリのことといいユキナのことといい、彼女をもし欠いていたらナデシコはいったいどうなっていたことか。ユリカが表の最強とするなら裏の最強はルリ、影の最強はミナトであったといえる。いわゆるナデシコ三強論だ。
 その影の最強が、ルリを攻略真最中であった。
「ルリルリ、ひととお風呂に入るのが本当に苦手なのねえ。ねえ、こっち向かない?」
「ごめんなさい、勘弁してください」
 赤面して目をそらしているルリに、ミナトはくすくす笑った。
 ふたりっきりなのをいいことにミナトは隠すところを隠しもしていない。もともとミナトは鷹揚なところのある女性であり、女同士で恥しがる必要なんかどこにあるのといった雰囲気だ。ルリはどうしても男時代の影響で目線が胸や股間、うなじなどに走ってしまい、赤くなってあわてて目をそむけるということを繰り返していた。
 なるほど、これではとても落ち着いてお風呂なんて無理だろう。
 そもそもルリには強い罪悪感がある。未来における罪業の話ではない。自分が元男性であることをここで証明するのは不可能であり、皆が自分を純粋な女の子と信じこんでいるという事実だ。それでなくても元ナデシコクルーたちに『女の子』として扱われるのはつらい。なのに、自分がある意味みなをだましていることを告白する事すら許されないのだ。ナデシコでその事実を知るのはユリカとアキト、それに史実と違ってナデシコに乗り込んだ義母のホシノ・ホキのみ。プロスペクターは逆行の事実こそ知っているがアキトとルリが入れ替わっていることまではプライベートの事項なので話していない。史実でもナデシコにいた事を知るのみなのだ。
「そういえばさ」
「はい?」
 そんなことを考えていると突然、ミナトが首をかしげた。
「ルリルリって、なんだかすごく男の子っぽいとこない?」
「……そうですか?私にはよくわかりませんが」
 思わずドキッとしながらルリは応えた。
「わたしってほら、三日くらい前から乗ってるじゃない?戦艦を運転するなんてはじめてだし、何よりわたしの運転士としての腕を買ってくれるなんて本当に嬉しかったものね。だから早く船に慣れちゃおうってさっさとやってきたんだけど。
 その時にはもうルリルリってば居たわよね。アキト君と毎日喧嘩しながら」
「……」
 アキトの名が出ると、ルリはどうしても反応してしまう。動悸をおさえつつルリは答えた。
「テンカワさんと私はオペレータ同士ですから。それに仲よくありませんから、余計に意志疎通はちゃんとしておく必要があるんですよ。
 すみません、騒々しくて」
「仲悪い?あんなに仲良く喧嘩してるのに?」
「よくありません。あんなのと一緒にしないでください」
 ぶすぅ、と機嫌悪そうにするルリに、ミナトはけらけらと笑った。
「だいたいテンカワさんはユリカさんの婚約者ですよ。仲がよくないのはむしろ良いことだと思います。私、ユリカさんとテンカワさんをとりあうつもりはありません」
「……ルリルリと艦長、本当に仲良しだもんね。そっか、そういうことか」
「え?何がですか?」
「うふふ。なんでもないよ」
 つん、とルリの鼻をつつき、ミナトはやさしい笑みを浮かべた。
「……ミナトさん?」
 憐れむような、悲しむような。そして愛しむような笑みを浮かべるミナト。
「つらい恋、してるんだねルリルリ」
「!」
 違う、と即座にルリは言おうとした。だけどそれは声にならなかった。
 ルリが戸惑っているうちにミナトはルリをすっぽりと包み込んだ。わ、とルリは小さな驚きの声をあげたが、びくっと震えただけで身体は抵抗しない。
「かわいそうに……まだそんな恋する年頃じゃないのにね」
「……そんなことありません」
 自分はもう大人ですから、という意味で反論するルリ。
 だがそれを悲しい背伸びだととらえたのだろう。ミナトはうん、うんそうだねゴメンねと優しくささやく。その心地よい声はルリの心をゆっくりととろかし、ルリは抱き締められるままにミナトの胸に頭を預けていた。
 ルリは急速に、ミナトに対し警戒心を解きはじめていた。
 湯舟の中。女と少女。少女の顔に水が流れていたのはきっとお湯のせいだろう。少なくとも少女はそれに気づかなかったし、女はそれに見てみぬふりをした。
 まったりとした時間が、ふたりを包んでいた。
 
 と、その時だった。
 
 キシュン、という音と共に小さな窓がふたりの目の前に開いた。
 ミナトは当然コミュニケをつけていないし、ナデシコ歴が浅すぎてそれがオモイカネのウインドウであることがよくわかっていない。なにこれ?という顔をしている。
 だがルリはそれに速攻で反応した。
「どうしましたオモイカネ」
『事件発生、例のアレです。しかし事態はより危険!すぐにあがって戦闘体勢を』
「わかった」
 ウインドウはすぐに閉じた。
「なんなの今の?」
「オモイカネ、つまりこの船のメインコンピュータです。洗面器の中にある私のお風呂用髪止めですが、これは簡易型のコミュニケにもなっていまして、普通のクルーは使えませんが私がオモイカネとお話するには問題ないようにできているんです」
 簡潔にウインドウの意味を説明すると、ルリはミナトに顔を向けた。
「どうやらこのナデシコを誰かが乗っ取ろうとしているようです。例のアレというのは隠語でクーデターを意味します」
「え?クーデター?」
「はい」
 予想外の事態に目が点になるミナト。
「これはちょっとまずいですね。
 すぐ出ましょうミナトさん。裸でいるうちに犯人たちに押し込まれたら洒落にならないです」
「わかったわ」
 急いでふたりは湯舟からあがった。
「オモイカネ、ブリッジにつなげますか。映像はダメですよ私たち裸ですから」
『やめておくべきです。へたに通信をつなぐと、そこにルリたちがいる事がばれてしまいますから』
 ち、とルリは舌打ちをした。確かにその通りだからだ。
「それでは下手に動けませんね。ユリカさんたちの作戦の妨害をしかねませんから──!」
 と、その時、オモイカネの警告が出た。ルリの顔が嶮しくなった。
「ミナトさん、手頃な武器を手に持ってください。ヘヤドライヤーでも栓抜きでもなんでもかまいません。相手は武装した軍人ですから遠慮はいりません」
「え?それって」
 はい、とルリは頷いた。
「入口近くに連合軍人が来ています。女性がお風呂に入ってると知ってやる気まんまんのようです。……どうやら史実より始末の悪い連中のようですね」
「史実?」
「あ。いえなんでもありません。ちょっと言い間違いです」
 思わず滑らせた言葉を的確にミナトに指摘され、あわててルリは訂正した。
「私が囮になります。ここはミナトさんより私の方が有効でしょう」
 せっかくまといかけたタオルをまた外すルリに、ミナトは目を剥いた。
「ちょ、待ちなさいルリルリ。あなた」
 女の子の前ですら脱ぐのを嫌がるルリが自分から裸になったのに、ミナトはあわてて止めようとした。あたりまえだ。
 だがルリは涼しい顔でミナトを止めた。
「こんな子供が囮だなんて誰も思いませんから。それに彼らはこの艦のメインオペレータが子供だという事も知っています。つまり私は安全です。
 ミナトさん、すみませんがよろしくお願いします。相手は軍人ですが勝つ必要はありません。不意打ちくらいならミナトさんの体力でも十分に可能と思われますし、後は私にも考えがあります。まともに戦えばひとたまりもありませんが、なんとかします」
 なんとかしてみます、ではなく、なんとかしますとルリは断言した。
 ミナトはそんなルリの顔をじっと見て、そして穏やかな顔で頷いた。
「……わかったわ。でも無理しないでね」
「わかりました」



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