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神秘の解放

 単純に見れば、それはなのはの完全な負けであった。
 力でぶつかれば絶対かなわないとカイトは知っていた。だから最初から撹乱作戦をとるつもりだった。なのはの苦手とするシチュエーションで少しずつ冷静さを奪っていき、ストレスがいいかげん溜ったところでわざと隙を見せて得意の砲撃戦にもちこませる。堰を切ったかのような乱射状態のバスターの隙をぬって緊縛系の魔法、それに安直だが「猫だまし」なんて方法で動きを止め、そして捕縛する。カイトの戦法とはつまりそういうことだった。
 だが、巧みに見えてその作戦は非常に危ういものでもあった。
 なのはがもしカイトと同タイプの魔導士と戦うスキルを持っていたら?もってなかったとしても、カイトの戦法に気づいてさっさと順応してしまったら?そして、バスターの乱射を躱しきれなかったら?
 どれかの可能性が少しでもあれば、カイトは負けていただろう。
 ついでに言うと、最後の勝利宣言もカイトの作戦のうちだった。捕まえたら勝ちなんてルールは決めてなかったのだから。なのはが全力で振り払いにかかられたら、カイトはなすすべもなかったはずだ。
 だが、良くも悪くもなのはは素直だった。だからあっさり負けを認めてしまった。それはつまり、カイトの心理作戦による勝利であると言えた。
「到着だ」
 元の河原に着地すると、カイトはなのはの拘束を解いた。なのはは未だ心ここにあらずといった感じであったが、カイトの言葉には素直に従った。
「さて、さっそくだが約束のものをもらえるかな」
「!」
 ビク、となのはが反応した。弱々な感じがまた愛らしい。カイトは目を細めた。
「まさか約束を破ったりしないよな?君はそういう事をする子じゃないと思っているんだが……」
「わかりました。あの」
「ん?」
「あっち向いててください……あれ?フェイトちゃん?」
 いつのまにか、少し離れた場所にフェイトが立っていた。
 ずっとふたりの戦闘をそこから見ていたのだろう。フェイトは燃えるような怒りの炎を燃やしていた。その目線はきつく冷たく、カイトをじっと見据えている。激情を隠しもしていない。
 フェイトはなにも言わない。
 だが、その目線が何よりも雄弁だった。
「フェイト君」
 カイトは苦笑して呼びかけた。
「悪いが、なのは君の身体をそのマントで隠してやってくれないか。
 まぁ、イヤなら俺が隠してもいいけど」
「……」
 フェイトはつかつかと歩いてくると、カイトとなのはの間に遮るようにたちふさがった。
「これ以上なのはに近付かないで。卑怯者」
「あー……すっかり嫌われちまったか。ごめんな」
「……」
 フェイトはこれ以上会話するつもりもないようだった。背後のなのはに語りかけた。
「なのは、こんなのの約束守る必要ないよ。帰ろう」
「それはダメ。約束は約束だから」
「なのは!」
「ありがとう、フェイトちゃん」
 するする、と衣擦(きぬず)れの音がした。
「あー……俺が脱がしたかったなぁ……」
「……」
「うわ、冗談だって。そんなおっかない顔すんなってば。悪かった」
 怒り心頭のフェイトの顔を見て、あわててカイトは謝った。
 このうえフェイトを敵に回したら、間違いなく命はないだろう。それでなくともなのはを縛りあげ抱き抱えてしまった時点で、フェイトの逆鱗に触れているのは間違いないのだから。
 さて、フェイトの背後からなのはが現れた。左手に脱いだばかりの白いパンティを持っている。純白のそれは前の部分に小さな赤いリボン飾りがあるだけだ。そのシンプルさと純潔さはまさになのはの戦闘服の一部に相応しい。まばゆいばかりの白さはなのはの無垢さとそのまま連動している。
 真っ赤になりながら、おずおずとなのははそれをカイトにさしだした。
「あの……あんまり見ないでくださいね」
「ああ、ありがとう」
 なのはを恥しがらせないよう、カイトは厳粛に、そして穏やかに微笑んでそれを受け取った。
「お、ホカホカだな……ってごめん、ごめんってば」
「……死にたい?」
 身も世もなく恥じらうなのははこのうえもなく可愛らしいのだが、その横で金と黒の夜叉のような顔をしているフェイトがカイトの萌え心を控えさせた。ここまできて殺されてしまったのでは元も子もない。
「なのは君、レイジングハートにジャケットのリペアを頼んでごらん」
「え?あ、うん……レイジングハート、お願い」
『All Right, Repair-mode』
 すると、スカートの中できらきらと何かが輝いた。あ、という声がなのはの口から漏れた。
「どう?元通りになったろ?」
「あ、ありがとうございます!」
「いやなに……礼はいいって。そもそも原因作ったのは俺だからね」
 カイトはそう言って笑うと、左手になのはのパンツを持ち、胸の高さに掲げた。
「さて、今度は俺の約束を果たす時だな。
 俺が君にこんな無理難題を押しつけ、フェイト君を巻き添えに困らせてまで復活しようとした魔法だ。よかったら最後まで見てやってくれ」
 そう言うと、すうっと目を閉じた。
『聞け、天地(あめつち)よ。
 我は封じられし者、遠き魔の民(Ki-Marche)が末裔。大地が裂かれ海が焼かれたあの日、こぼれ落ちた最後のひとりなり。
 我が復活の成就に今いちど、力を貸せ』
「!」
 うっすらと、左手のなのはのパンツが輝きはじめた。
 
 その時、アースラの指令室では再び騒ぎが始まろうとしていた。
「カイトさんに魔力反応が現れました!で、でもこれ」
「どうしたエイミィ。何かあるのか?」
「何かあるっていうか、変だよクロノ君!
 この魔力、カイトさんから出てるのになのはちゃんのと同じ波長なんだよ!」
「エイミィ、仕事中にその呼びかたはよせ。
 ……ってちょっと待て、どういう事だそれは?」
 エイミィの言葉の意味に、クロノも事態の異様さに気づいた。
「なるほどね……そのためになのはさんの下着が是が非にも必要だった、と」
「提督、何か御存じなのですか?」
 リンディの方をクロノは見た。リンディは息子の方を見て大きくうなずいた。
「クロノ。カイトさんは魔力を封じられているでしょう?おそらくそれはカイトさんの肉体そのものが封印になっていて、彼の魔力はそのままでは利用できない状態だった。
 カイトさんがなのはさんの下着を欲しがったのはね、相性のいい彼女の魔力をたっぷり含んだそれを一種のガイドにするためだったんだと思うわ。彼女の衣服を手に持つことで彼は、バッテリーに導線をつないだように自らの魔力を外に引き出すことができる。
 彼が復活しようと躍起になっていた魔法は、おそらくこのためのもの。
 彼の魔法の色がなのはさんと同じなのはそのためよ。強力な封印すらも騙せてしまうほど、ふたりの波長がそっくりという事なんだわ」
「いや、しかし先刻の戦闘で彼が使っていた魔法は」
 そう。それは緑色だったはずだ。
 だがリンディは息子の考えに首をふって否定した。
「さっきまで彼が使っていたのは私達のそれとは異質のものだわ。おそらく大気中の魔素を使っていたか、何かのアイテムに込めておいた魔力を解放したんでしょうけど。
 何しろ、本人は魔力を放出できなかったんですからね」
「……」
 指令室の中は、不気味なほどの沈黙に包まれていた。
 と、その時、
「わ、な、何これ!?」
「どうしたエイミィ」
「カイトさんの身体がか、かか変わっていきます!」
「は?変身くらい珍しくもなんともないだろう?」
 スクライアの子供でも普通に使う魔法だ。魔道研究家が使えたとて別に不思議ではないだろう。
 だが、続いたエイミィの言葉にさすがのクロノも絶句した。
「違う、違うんだよクロノ君!
 このひと、魔法で見た目の姿を変えてるんじゃないよ!実際に肉体を作り替えてる!それも物凄い早さで!」
「……は?」
「変身だよ変身!本当にリアルタイムで『変身(メタモルフォース)』してるんだよ!」
「なんだってぇ!?」
 
「……」
「……なに、これ」
 なのはとフェイトは、目の前の光景に完全に固まっていた。
 カイトのまわりをピンクの輝きが包んでいた。なのはの魔力光とまったく同じ色をしたその中で、カイトの身体はゆっくりと、しかし驚異的な早さでその形態を変えつつあった。
 左手のなのはのパンツが、光に溶けるように消えた。
 その瞬間、不精髭が全て抜け落ちた。
 ぱさぱさの短い髪は柔かい茶色のものに変わり、そしてゆったりと伸び始めた。身体が次第に小さくなり、成人男性の逞しいシルエットが柔かい、まだ子供の色を残した女性のそれに変わっていく。骨ばっていた顔もしなやかで愛らしいものに変化し、周囲を包むピンク色の光に相応しい女の子の顔立ちになる。
「そんな」
 呻くような声は、フェイトのもの。
「……うそ」
 唖然とした声は、なのはのもの。
 黒衣がゆらぎ、大きさと形を変えた。なのはのバリアジャケットをネガポジ反転させたような漆黒のスーツが『少女』へと姿を変えたカイトを包む。
 閉じていた目を開いた時。
「……」
 カイトは、なのはと瓜ふたつの黒衣の少女に変わっていた。
『封印は解かれた。わたしは今、封じられた真の姿を取り戻した』
 周囲の空間に、魔力の乗ったなのはそっくりの声が響いた。それは目の前にいる黒衣のなのはから放たれたものだった。
『我が名はメイ。メイフェアのメイ。メイフェアとは実の父がくれた名。メイという呼び名は母がくれた思い出。
 メイフェア。それは今はなき故郷の花。春の可憐な花の名からとったもの。
 ──そう、あなたの名と似ているね、なのは』
「え」
 黒衣のなのは──メイの言葉に、なのはは驚きの声をあげた。
「それって……まさか」
 こくん、とメイはうなずいた。
「無限にひろがる時空世界には、時としてこういう事も起きる。
 わたしは、異世界におけるあなた。あなたは、異世界におけるわたし。あなたの世界は魔法と無縁の科学の世界。そしてわたしの世界は、科学と無縁の魔法の世界。
 わたしは海辺の小さな町に暮らしていた。父と、母と、兄と姉と五人の家族で」
「そんな!」
 なのはの顔が驚愕に包まれた。
『そう……そういう事だったのね』
 突如として空間に魔力の通信円が開き、リンディの顔が現れた。
「リンディ提督」
 メイの言葉に、映像の向こうでリンディは頷いた。
『あの時、わたしはまだ学生だった。でも先輩の管理局員にお話を聞いて事情くらいはわかっていてよ、えっと、メイさん、でいいのかしら?』
「ええ、かまいません」
 なのはと同じ声。
 だが、メイのしゃべりかたにはどこか、なのはよりむしろフェイトに近い静けさをまとっていた。暖かさより寂しさを感じてしまう、特有の空気。
 なのはとフェイトはその雰囲気に、この少女の過ごしてきた悲しい時間を感じとることができた。
『宇宙戦争で滅びたひとつの世界。異星人の攻撃によって滅びた遠い星。失われた魔道文明の世界。
 あなたは、そこの生き残りなのね。メイさん』
 悲しそうに、憐れむようにリンディの声が響いた。
 だが。
「──違う」
『え?』
 静かな怒りがメイの口から放たれた。
「小さかったけど、わたしは覚えてる。それは違う。
 異星人なんてどこにもいなかった。それは当時のミッドチルダ政府のある高官の流した嘘の情報。わたしの故郷の技術を盗むために、異星人に滅ぼされたなんて嘘をついた。死人に口なしと全てを覆い隠そうとした。
 わたしの故郷を滅ぼしたのは、ミッドチルダ異世界方面軍の次元兵器。
 わたしの父を、母を、兄さんを、姉さんを殺したのは、残党狩りにやってきたミッドチルダの兵士たち!」
「!」
「そんな」
 フェイトの声が、信じられないという響きを帯びた。
 メイはそんなフェイトとなのはを、優しい目で見た。
「そう。信じられないよね。わたしもそう思う」
「え?」
「少なくともリンディ提督やクロノ執務官のせいじゃない。今のミッドチルダ政府にもそこまで腐った馬鹿はもういない」
 ふふ、とメイは寂しそうに笑った。
「結局、わたしの故郷の件がきっかけになって、中央政府で内部の粛清が行われたみたいなの。そこまで腐った人達は政府や管理局などから軒並み追放されてしまったんだって。
 それに、しなやかな柳のようなリンディ提督や、融通がきかないけど真面目一徹のクロノ執務官にはそういうどろどろした世界は似合わない。それは話してみてよくわかった。
 だから、あなたたちは気にする必要はないの。
 だけど」
 メイは顔をあげた。上空にあるアースラを睨むように。
「あのアースラだけはわたしは放置できない。
 封印が解けて力が戻ったら、アースラだけは破壊すると決めてたの」
「アースラを!?どうして?」
 なのはが問いかけた。フェイトはその意味がわかるのだろう。少しうつむいた。
 そして、メイは厳かに告げた。
「わたしの故郷、シーファンの町を破壊したのはあのアースラ。魔砲アルカンシェルだから!
 わたしの懐かしい故郷も、幸せだった暮らしのなにもかも消してしまったのは、アースラだから!!」
「そんな……そんな!」
 メイの身体が浮き上がった。
「メイさん!」
 叫ぶなのは。行ってはだめと、引き留めるように。
 そして、そんななのはにメイは静かに微笑んだ。
「なのは」
「え?」
「あなたを見ていると昔を思い出す。幸せだった頃のわたし、かけがえのなかったわたしの家。父さんと母さんの笑顔を思い出す。
 だから、あなたは笑ってて」
「……」
 言葉をなくしたなのはに、にっこりとメイは笑う。その笑いはいつものなのはのそれとほとんど変わらない。
 ただ、瞳が悲しげに濡れていることをのぞけば。
 そして、映像のリンディにメイは顔を向けた。
「リンディ提督。今からわたしはアースラを破壊しに行きます。搭乗員の方の退避をお願いいたします」
『それができると思って?』
 リンディの顔は、いつもの優しげな顔から厳しい提督のものに変わっていた。
「できないというのなら……致し方ありません。甚だ不本意ですが、あなたたちごとアースラを時空地平の彼方に消し去るまでです」
 メイは左手をあげた。
『来たれ、わが一族の至宝。我は(なれ)の最後の(あるじ)なり!
 来たれ、時空を越えわが手に!星辰(せいしん)の杖よ!』
 光がほとばしった。
 次の瞬間、メイの手にはレイジングハートと同じくらいの銀色の杖が握られていた。
「……デバイス?」
「違うよ」
 なのはの言葉を、やさしくメイは否定した。
「これは星辰の杖。星と語り大地を育む恵みの魔杖。本来ならわたしみたいな子供じゃなく、本職の巫女さんが使うためのもの。
 だけどまぁ、いろいろあってね。故郷でわたしはこれを持っていた。そう、ちょうどなのはがレイジングハートと出会ったようにね。巫女でないのに巫女の杖を使う子供。今のなのはよりずっと子供だったけど、きっとそれはなのはと同じような立ち位置だったと思う。
 わたしを保護した管理局の魔導士に、もう君にはいらないものだよって捨てられちゃったけどね」
 やさしげな手つきで、懐かしそうに銀色の杖をなでるメイ。
「そうそう、いいものあげる」
「え?」
「これ」
 メイは微笑むと、小さなチップのようなものをなのはに手渡した。
「えっと……?」
「それは宇宙空間で活動するためのプログラムみたいなもの。レイジングハートにあげるといいよ。
 今のままでも活動できるはずだけど、長時間は危険なはず。わたしたちの魔力は大きすぎるしレイジングハートも高機動デバイスだから、うっかり宇宙に出てしまうことも想定しないと危険だから」
「うん、ありがとう」
 なのははお礼を言い、そして続けた。
「でもダメだよメイちゃん!アースラ壊すのだけはやめて!」
「……」
 メイはなのはをじっと見て、そしてゆっくりと首をふった。
「憎しみが止まらないの。
 育ててくれたミッドチルダのお義母さんも嫌いじゃないけど、でも」
 そして上をみあげた。
「なのは、ごめんね。そして、ありがと」
「メイちゃん!」
 次の瞬間、メイは弾丸の速さで雲の上にいた。
 ごうう、と強い風がなのはとフェイトの間に吹き抜けた。
「待って!」
 追い付けない速度である事を承知の上で、なのはもレイジングハートをかざした。
「レイジングハート!」
『All Right, speedy-mode』
「なのは!」
 次の瞬間、なのはもメイの後を追って空に駆けあがっていた。
「なのは」
 後には、静かに空を見上げるフェイトだけが残った。
「……バルディッシュ、追うよ」
『Yes Sir.』



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