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幕間、または彼女たちの追ってきた経緯

 アキトが帰投予定の月面基地に現れず、とうとうやられてしまったのかと青くなったあの日。それがルリたちの全てのはじまりだった。
 理由が撃墜でなくボソンジャンプの事故ではないかとイネスは言ったが裏付けもデータもとれなかった。結局行き先が知れたのは漂流するユーチャリスが発見されてから。なんと数十年の時間が経過していた。
 もうルリは老女になっていた。なのに非常識を承知でユリカの元に押しかけて言い切った。「ユリカさん、アキトさんの行き先わかりましたよ」と。
 ルリですらもう軍の退役直前だった。ユリカはとっくに退役になっており、それどころか病院で治療を受ける日々。もう余命いくばくもないと言われていた。
 なのに、ユリカは即座に反応した。「ルリちゃん追うよ」と。
 言ったあとでルリは、自分がどんな残酷な発言をしたかに気づいた。
 だがもう遅い。
「無茶です!その身体でいけるわけがないです!だいたい行き先は過去なんですよ!
 しかも空間座標もおかしいんです。どう考えても「この世界」じゃないってイネスさんが!」
 だがユリカは笑って、信じられないようなことを言い出したのだ。
「だったら余計なものは捨てていこっかルリちゃん。この身体とか」
「……はい?」
 一瞬、ルリはユリカが老化のあまり失調症に陥ったかと思った。
「何びっくりしてるの?精神だけで跳べる可能性は理論上も確認されてるんでしょ?」
「……なんで知ってるんですか?それ、イネスさんが先日出したばかりの最新論文の中身」
「うん、そうだね。学会誌でユリカ読んだよ?」
「……はぁ。それはまた」
 なるほど、老いたとはいえ天才に時間ができるとはそういうことかとルリは呆れた。どうやら暇にまかせて科学論文を読み解けるほど勉強していたらしい。
「ついでにいうとねルリちゃん、私はまだ遺跡とつながりがあるんだよ?
 知ってるでしょ?遺跡の力は時間も空間も越えるって。何年も遺跡に組み込まれてた私だもの、そのくらいの制御はできる、やるよ。
 ルリちゃん座標データはどこ?今からでもいいよ?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいユリカさん!」
 ルリはあわてた。
「私はともかくユリカさんにはもう家族もいるじゃないですか!跳んでいくってことは家族を捨てていくってことなんですよ?わかってるんですか?」
 それはユリカの実子ではない。
 いろいろあって軍に復帰後、発見されたラピスと同様の子供たちをユリカが預っていたものだ。おなかを痛めた子供たちではないが皆はとても仲がいい。今では彼らにも子供がいるが、休みごとに「ミスマルのお祖母さん」を尋ねてくる子供たちはすでに両手でも足りない数だ。
 はたして、ユリカはクスクスと笑いだした。
「私はともかく?あらら?ルリちゃんだってハーリー君見捨てていいの?今でも仲良しのくせに」
「アキトさんのことは昔からさんざ聞かせてありますからね。納得してはくれないでしょうけど「行っちゃった」とは理解してくれますよ。
 だいいちハーリー君は家族がいるじゃないですか」
「あーららかわいそうに。ま、でもそれならお互いさま。私だってみんなにはアキトの話してるもん、ルリちゃんと同じだよ」
 話してあるどころか、「ミスマルお祖母さんのアキト自慢」は子供達なら誰でも知っている。なにしろ寝物語にすら聞かせ続けたのだから。
「それでデータはあるの?そのポケットの中のカード?」
「あ、はい」
 ルリはポケットの中のデータカードをユリカに渡した。
「遺跡に読ませるやつです。イネスさんが試作したものですが……ユリカさん?」
 ユリカはカードに指を滑らせ、うんうんと頷いた。
「なにしてるんですか?」
「うん、ありがとうルリちゃん。今遺跡にデータ送ったよ」
「はぁ、そうですか……って、えぇっ!?どうやってですか!?」
 指でカードをなぞっただけで、どうしてデータが読めるのか?
「そんなことユリカにもわからないよ。でもデータは読んだし遺跡にも送ったよ?
 さて、じゃあ行こっか、ルリちゃん」
「ま、まま待ってください!ほんとに、本当に大丈夫なんですか?」
「あれ?ルリちゃんはユリカを信じてくれないの?」
「そういう問題ではないと思いますが」
 うふふ、とユリカは笑った。
 その笑いはルリがもっとも恐いユリカの顔だった。天才の名を欲しいままにしたユリカがその才能を全開にして発揮する時、つまり戦略を巡らす時の顔だった。
 まずい、と本能のままに後ずさりしようとしたルリだったが、
「もう、しょうがないなぁルリちゃんは。いいよ、じゃあ証明してあげる」
「証明?どうやってですか?」
 思わず答えてしまっていた。
「はい、手を出してルリちゃん」
 あ、はい、と答えてルリは手を出してしまった。何も考えずに。
 
 その瞬間、ふたりは昔のミスマル邸、ユリカの部屋にいた。
 
 ルリは昔懐かしいナデシコ搭乗の頃の姿になっていた。ユリカもそうで、ナデシコ搭乗の頃の若い娘の姿でそこにいた。
「え……え?」
 ルリは自分の手を見て驚き、髪を見て驚いた。あわててバタバタとドレッサーに走り、鏡を見て「えぇぇぇっ!!!」と子供のように絶句している。
 対してユリカは悪戯っぽい笑みをくずさない。
「ゆ、ゆゆゆユリカさん、これいったいどういうことですか?ナデシコ搭乗の頃に戻って……ってユリカさんもですか!?」
 どことなく喋り方まで昔のルリだった。ユリカはくすくす笑った。
「おぼえてない?ルリちゃん。私たち過去に跳んだんだよ?アキトを追いかけて」
「アキトさんをですか?……って居場所わかったんですか!?いつ!?」
 どういうわけかルリは何も覚えていないようだった。うっふふとユリカは笑った。
「その様子だと大成功みたいだね、うん、よかった」
「よかったって何がどうしてですか?黙ってないで教えてください、ユリカさん!」
 はいはい、と笑いながらユリカはルリの頭をぽんぽんと叩いた。
「ちょっと事情があってね、アキトを追いかけるのに余分な記憶と元の身体を捨てたんだよルリちゃん。ごめんね、勝手なことして」
「記憶もですか!?……はぁ」
 あっけにとられた顔で、ルリはぺたんと床に座りこんだ。
「それじゃあ記憶消去に自分が同意したかも確認できませんね。ユリカさんを信用して聞きますけど、どうでしたか?」
「んーごめんね、詳細までは教えてなかったんだ。ルリちゃん恐がるといけないと思ったし」
「あたりまえです!」
 むう、とルリはむくれた。幼児っぽいとはいえ十代の娘と考えれば、その行動はちょっと子供っぽいくらいで特におかしくもない。
 数十年の時間がまるごと、逆行の瞬間にルリから剥がれ落ちてしまっているようだった。
「それにちょっと悲しいです。どれだけの記憶を捨てたのか知りませんが、その間の私がどんな暮らしをしてたとか、どんなことを経験したのかとか、それだけでも最低限覚えていたかった。
 ユリカさんはそういうこと、わかってくださってると思ったんですが」
「うんわかってる。だからごめんねルリちゃん」
 ユリカは、きゅっとルリをだきしめた。
「ユリカさんは覚えてるんですよね?なんだか前より少し大人に見えます」
「そうだね、うん。ユリカはみんな覚えてるよ」
「教えてください」
「だめ」
 速攻で問いかけたルリを、これまた速攻でユリカは切捨てた。
「時を越えたんだよルリちゃん。それってつまり、前の時間に大切なものをみんな置いてきちゃったってことだし。ルリちゃんはユリカより優しい子だから、それを想うととても悲しむよ?
 だからルリちゃんは知っちゃダメなの。わかった?」
「そう言われると余計に気になります」
「あっははは、そういやルリちゃんってそういう子だったね。立入禁止とあれば入りたがる、セキュリティとみれば破りたがる。そういうとこあったよね」
「懐かしそうにいわないでください。ていうかそれじゃ私ただの駄々っ子じゃないですか。撤回してください」
「だーめ」
「ユリカさんっ!」
 そんな会話をしていると、コンコン、と扉を叩く音がした。
「ユリカ。誰かいるのかね?」
「はいお父様!ルリちゃんが来てます!」
「ルリ?」
 がちゃ、と音がして扉が開き、カイゼル鬚の穏やかな紳士が顔をのぞかせた。
「おや、おともだちかね。しかしこれはまた……」
 その目はルリの瞳に注目している。軍人の目だ。
「お父様、ルリちゃんをそんなにじろじろ見ないで」
「あ、ああすまん悪かったね。だがひとつ聞いていいかね?
 うちは軍人の家だ。彼女がどうというわけではないが、身元のわからない者がいてはセキュリティ上問題があるんだよ。
 よければ彼女について教えてくれないかね?その、本当に申し訳ないんだが」
 娘の怒り顔に困りつつも、言わなくてはならないことだけはしっかりと言った。
 ルリは手間を省くために発言することにした。
「ホシノルリです。見ての通りちょっと遺伝子をいじられてますが怪しい者ではありません」
「ルリちゃんは今度乗るネルガルの船のオペレータなの。まだ若い女の子だって聞いたから一度会ってみたくてお願いしてあわせてもらって、それで仲よくなったんだよ?ねールリちゃん♪」
「はい」
「おお、なるほどそうか。例の船かね」
 うんうんとカイゼル鬚は頷き、そしてルリに頭をさげた。
「悪かったねホシノくん。わたしはミスマルコウイチロウ、ユリカの父だ。これからもユリカと仲良くしてやってくれるかな?」
「はい、私でよければよろこんで。あと私はルリで結構ですから」
「そっかそっか」
 ルリの大人びた発言に目を細めた。史実通りルリが気に入ったようだ。
 にこにことカイゼル鬚は笑った。
「ユリカ、お飲物くらい出してあげなさい。なんなら私がもってこようかね?」
「ありがとうお父様。でもいいです。これからルリちゃんとお風呂したいので。お風呂あがりにいただきに行きますから」
 そうか、とちょっと残念そうにカイゼル鬚は頷き、
「ではなルリくん。ゆっくりしていってくれたまえ」
「ありがとうございます」
 うむ、と最後に大きく頷くと、カイゼル鬚は部屋をでていった。
「ふう……ちょっと緊張しました」
 僅かに安堵を見せてルリは微笑んだ。
「ミスマル叔父様も若かったですね。たった数年とはいえ」
「あはは、あたりまえだよルリちゃん」
 くすくすとユリカは楽しそうに笑った。
「さ、ルリちゃんお風呂しよ♪」
「口実じゃなかったんですか?本当にお風呂するんですか?」
 当然、とユリカは笑った。
「さ、いこいこルリちゃん。アキトに会う前にがんばって女を磨こう!おー!」
「なんだかずいぶんとハイですねユリカさん。ところで記憶について聞きたいんですが」
「ん、なんの話?アキトの(ぴー)が何センチってお話だっけ?」
「そんな話は聞いてないですっ!ごまかさないでください!」
「え?違うの?ルリちゃんをお風呂で可愛く磨きあげて、ふたりでアキトをハニーポットに落とすって話じゃ?」
「違います!ていうか何気にとんでもない爆弾発言しないでください!」
「あははは、ルリちゃん真っ赤♪可愛いなぁもう♪ユリカ、ぎゅってしちゃう」
「わけわかんないですってば!ていうかユリカさん苦しい、苦しいですから!」
 
 結局ルリは、自分の記憶についてユリカに問い質すことはできなかった。
 風呂あがりに言われるままにパソコンに向かったルリはその後、変わり果てた現実のとんでもない姿に絶句することになったからだ。
「ハニーポットって話は本気なんだけどね、ルリちゃん?」
「何か言いましたかユリカさん?」
「ううん、なんにも♪」
「?」



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