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世界を跨ぐ願い(1)

 男を眠らせ月村家に護送した。抵抗したためでなく月村家への道を教えないためだ。万が一逃げ出した時に高町家へ行かれては困る。ノエルの分析で気づいた忍は、即座に男を眠らせた。
 男は問題ないと言ったがもちろん無視した。寂しそうな顔はひっかかったが。
 さくらへの連絡を忘れていたのに那美への電話中に気づいたが、しかしそっちの心配は無用だった。月村家に向かう途中の那美をさくらが発見、車で一緒に月村家に向かったからだった。
 どうやら忍自慢の叔母は、予感だけで気になって飛んできてくれたらしい。いつものライラック色のスーツが玄関で待っているのを見た時、正直忍は涙が出るほど嬉しかった。
「さくら!」
「忍」
 ノエルが車を玄関前に止めると、さくらと那美、そして久遠が近寄ってきた。
「えっと、おはようございます忍さん」
「挨拶なんかいいから!ノエル、車はこのままでいいからすぐこいつ運んで!」
「はい」
 ノエルは車を降りると後部ドアを開き、眠っている男を引き出し抱きあげた。
「恭也さん……眠らせたの?忍?」
「って那美に何も聞いてないの?途中から一緒だったんでしょ?」
 あまりの忍の剣幕に、さくらは目を丸くしながら答えた。
「ええ聞いてるわよ?」
「だったらどうしてそんな平然としてるの!」
 さくらは困ったような顔をした。 
「恭也さんが知らない男のひとの霊に取り憑かれたんでしょう?なんでも生前とても妹さんが欲しかった男性で、いちどでいいからお兄ちゃんと呼ばれてみたいって想いの果てにそうなったらしいっていうんだけど……なんか凄いわねえ」
 苦笑いだった。そんな冗談のような理由で憑依霊になる人間がいるなど、さくらとて想定外だったのだろう。
 通常、自縛にしろなんにしろ霊が残念するのは不幸がキーとなる。妹がいないというのも確かにある意味不幸なのかもしれないが、一般的に不幸といえるかどうかは疑問符の残るところだ。まして、たったそれだけの理由で霊になるというのは俄に信じがたいことだろう。
 だけど、那美が感じたのは事実それだけだというのだから……さくらにしてみればもう苦笑いしかない状況だ。
「恭也さんには、なのはちゃんって可愛い妹さんがいるし、こっちの迷惑はともかく彼の側の事情はわかる。でもびっくりだわ」
 うふふと笑うさくら。だが忍の方は逆に眉をつりあげた。
「ものは言いようね。ていうか那美もおひとよしすぎ!」
 忍は呆れ半分にまくしたてた。
「こいつはね、恋愛ゲーマーのうえに妄想狂、しかもロリコン!とどめに実妹(いもうと)狙いって筋金いりの超のつく変態野郎なんだから!
 こいつに何吹き込まれたか知らないけど、霊現象なら那美のオハコでしょうが!なんで霊なんかにうかうか騙されるのよ!」
「……」
 だが那美は、珍しい忍の激昂にも涼しい顔だった。いつもアタフタして百面相している那美とはとても思えないほどに落ち着いている。
「……」
 そして、そんな那美に『神咲』の顔を見たさくらも何も言わない。
「何黙ってるのよ那美!」
「……忍さん、それ違いますよ。いえ合ってるのかもしれないけど直接の理由じゃないと思います。
 それにだいいち私、彼にお話なんか聞いてないんです。彼がご当人と知った途端に逃げられちゃいましたから」
「……え?そうなの?」
「はい」
 忍はまじまじと那美を見た。
 
 男をベッドに寝かせた。
 念のためにベルトで縛ろうとしたが、必要ありませんと那美があまりに断言するので渋々忍はあきらめた。事情はともかく霊関係では那美やさくらが専門家であり、彼らが安全と断言するものを無碍にすることはできなかったからだ。
「危害を加える意志があるのなら、いまごろわたしはとっくに犠牲になってますよ。無防備にお話していたわけですから。
 逃げる時だって、この方は久遠にもわたしにも指一本触れませんでした。それどころか最初は本気でわたしの霊障探しを手伝ってくれるつもりだったみたいです。
 自分がその霊障そのものとは気づいてなかったんでしょうね」
「なるほど」
 さくらが普通に頷いているところをみると、パターン自体はよくあることなのかもしれない、そう忍は思った。そしてそれは実際その通りで、霊障の中でしばしばその元凶が自分の死すらも知らないというのは定番の話でもあった。
「忍さんが本人に伺ったという話を総合すると……そのゲームというのが実在するかどうかは別として、この方の心の中では現実にあったんだと思います。その中でこの方は妹さんが欲しい、欲しいって気持ちの代償行為としてなのはちゃんに夢中になっていったんでしょう。
 でも所詮はゲームですよね?彼にとってなのはちゃんは現実の妹さんじゃないんです。表面的には癒されるけど気持ちの方はむしろ強まり、方向性が定まっていったのかもしれません。
 その気持ちが最高潮に高まったとき……おそらくは死の瞬間なんでしょうけど、何かが起きた。この方自体がもともと非常に強い霊力を無自覚に秘めていたか、それとも何かの力が働いたのかわかりませんけど、とにかくそれは起きた」
「それが今朝……恭也さんに男性がとりついた瞬間っていうことかしら?」
「はい。前後関係の正確さは別として、大筋は」
 さくらの質問に、那美は巫女の顔で頷いて答えた。
「はぁ……結局それってただの妄想じゃない。まさか別世界からきたなんてトンデモが現実にあるわけないんだし」
 忍が心底呆れたような顔をして嘆いた。
「とにかく、そんなキモい変態に恭也をのっとられたんじゃたまったもんじゃないわよ!那美!今すぐ除霊しちゃって!」
 え゛、と那美が困ったような顔をした。
「何びっくりしてるのよ!プロでしょ!」
「それはそうなんですけど……この方たぶん普通の除霊は必要ないと思いますよ?直接原因がはっきりしてますから、その原因さえ除去できれば満足して自然に成仏されると思います」
「……は?」
「なるほど、確かにそうね」
 首をかしげたのは忍。納得したのはさくらだった。
「え?どういうこと?」
「わからないの忍?簡単でしょう?
 つまり恭也さんにとりついてる方は、なのはちゃんに『おにいちゃん』って呼んでもらいたいのよ。だからこそお兄さんである恭也さんにわざわざとりついたんでしょう?
 だったら話は簡単よ。なのはちゃんにその通りにしてもらえばいい。
 霊障っていうのは色々あるけど、残念している根本原因がはっきりしてるんなら除去は難しいものじゃないわ。特に人物まで指定で『おにいちゃんと呼んでほしい』なんてあまりにもピンポイントすぎる願いならたぶん、かなった途端に現世に留まれなくなってみるみる昇華しちゃうと思う。
 逆にいうと、年月がたちすぎてその妹さんが存命しなかったりしたら大変だけど。この場合、よほどの事がなきゃ残念したままになっちゃうから」
「うわ……博識ですねさくらさん」
「ふふ、神咲の人の前じゃ恥ずかしいけどね。まるでお釈迦様に説法するみたい」
「そんなことありませんよ。すごいです」
「ありがと」
 にこにこと平和に会話しているのが、またまた忍の眉をつりあげた。
「冗談言わないでよさくら!
 こんな変態の前になのはちゃん連れてきたらどうなると思う?そんな危ないめになのはちゃんをあわせられるわけないでしょ!」
 激昂する忍に、さくらはためいきをついた。
「忍、落ち着きなさい」
「落ち着いてるわよ!」
「はいはい、落ち着いてない落ち着いてない」
 うふふと笑ってさくらは穏やかに言った。
「あのね、忍。
 たとえ忍のいうとおり危険だったとしても、ここには忍も私もいるでしょう?いざという時は私たちが守ればいい。違う?」
「……あ。そ、そっか」
 そこまで頭が回ってなかった忍は、バツが悪そうに顔をしかめた。
「とにかく忍、高町さんのおうちに連絡してくれるかしら?理由はなんでもいい、とにかく適当な事情を話してなのはちゃんを連れ出すの。迎えは私がいくわ」
「うん。わかった」
 さすがに真実は話せない。いやそれ以前に、そもそも自分たちの推測が事実かどうか自分たち自身ですらよくわかっていない。全ては推測にすぎない。
 そんな状態で、よくわからない別人が恭也にとりついてます、なんて言ったらむしろ大騒ぎを巻き起こすことにしかならないだろう。
 それじゃ行ってくる、と忍が腰を浮かそうとしたその時だった。
「あれ?」
 ぴんぽーん。呼び鈴が鳴っている。
「誰かきたのかな?ノエルー、誰がきたか確認してー」
 この部屋にはインターホンの端末がない。屋敷のどこかにいるノエルに忍は確認を頼んだ。
 少ししてノエルの声が聞こえる。
『なのはさんです』
「え!?なのはちゃん!?ほんとに!?すぐ通して!」
『はい』
 飛んで火にいる夏の虫、じゃなかった噂をすれば影。なんてタイミングだろうと忍は目を丸くした。
 ──だが。
「なのはちゃん?どうしたのかしら?忍、なにか約束してたの?」
 おもむろにさくらが眉をしかめた。
「してないけど?」
「してないって……じゃあ、わざわざバスか何かできたの?理由もなく?」
「!」
 あ、と忍もつぶやいた。さくらが眉をしかめた理由がわかったからだ。
 月村邸は遠い。自分の足がないとバスを使うしかない。自転車でえっちらやってこれるのは体力のある恭也くらいのもので、小学二年生のなのはが同じ真似をしたら大変な大冒険になってしまう。
 そんな遠くにわざわざやってきたとしたら……理由もなくくるわけがない。
 しかもこのタイミングで現れるなんて。
「……なんだろいったい」
 忍は首をかしげつつ、とりあえず部屋を出た。なのはをこの部屋にいきなり通すわけにはいかないから。
 
 なのははいつもの白い制服姿だった。
 彼女はこの制服を好む。休日でも場合によっては制服でくることがある。最初にきた時も好きだと言っていたが、こうも頻繁に着ているところをみると、それはやっぱり好きなのだろうなと忍は思った。
 なのはのおじぎにあわせ、ゆらりとリボンが揺れていた。バス停から歩いたはずなのだが外は涼しいのか、なのはは汗ひとつかいてない。
「いらっしゃいなのはちゃん」
「あ、こんにちは忍さん。すみません突然おしかけちゃって」
 にこにこといつものように笑顔を交わすふたり。
「ところでどうしたの?用があるんなら連絡してくれれば迎えにいったのに。大変だったでしょ?」
「いえ」
 にぱ、と笑う。いつものなのはの笑顔だ。
 だが次の瞬間、なのちゃんってやっぱり可愛いよねーなどと内心気持ちよく思っていた忍の耳に、いきなり直撃弾が落ちてきた。
「あのですね、おにーちゃんのことなんですけど」
「!」
 げ、とひきつった忍の顔を見て、満足そうになのははにこにこ笑う。
「おにーちゃん、今朝ごはんも食べないでいなくなっちゃったんです。レンちゃんにちゃんと断って出ていったみたいなんですけど、おねーちゃんの話だと具合がよくなかったみたいで。
 それで、ちょっと様子を見にきました」
 まるで、ここにいると知っているかのようになのはは言う。しかもその内容だと、バスか何かでくる以前からそれがわかっていたかのような……?
「あのー、なのちゃん?」
「はい」
「お兄ちゃんここにいるって誰に聞いた?」
「あ……えーとそれはですねー」
 ちょっと困ったように苦笑いすると、
「ないしょです!」
「えー?どうして?教えてくれてもいいじゃない?あ、もしかして男の子?」
「えー?ないしょはないしょです〜」
「なのはちゃん冷たいなぁ。おねーさんにちょっとくらい教えてくれたって」
「だーめーでーす!」
 うふふ、あははとふたりは笑いあった。
 あの男は恭也そっくり、というか身体は恭也。海浜公園から連れ出すところを誰かが見ていたのかもしれないと忍は思った。
 だが、忍は気づいていない。
 忍たちが引き上げてから時間もそんなにたっていないのだ。バスの所要時間を考えると、その時間で目撃者をなのはが捜し出し、なおかつバスに乗ってくるというのは明らかにおかしい。しかしそのことに忍は気づいていない。
「で、それはそれとして忍さん。おにーちゃんどうですか?」
 ちょっと心配そうに眉をしかめるなのは。
「どうって……別にその、ね、寝てるだけだけど?」
 なのはにじっとみつめられ、あわてて取り繕う忍。
 どういう選択をとるにせよ、なのはに本当のことを話すわけにはいかないだろうと忍は思った。だからここは誤魔化すかどうかして、無難にひきとめるしかない。
 だが、次のなのはの発言に忍はギョッとした。
「そうですか?でも、おにーちゃん今、おにーちゃんじゃないんでしょ?大丈夫かなぁ……」
「!?」
 忍はなのはの言葉に、一瞬反応できなかった。
「あ、忍さん。なんで知ってるのって顔」
 ぷう、と子供のようにふくれるなのは……実際子供なのだが。
「なのはちゃん……どうしてそれを?」
「えへ、実はですね」
 ほとんど苦笑いを浮かべるなのは。
「なのはのおともだちのひとりが、おにーちゃんのいたベンチの近くにいたんです。それで偶然ですけど、忍さんたちが連れていったとこまでみんな目撃してたんですよ。で、事情はわからないけどおにーちゃんさらわれたよって、なのはのところに連絡がきまして。
 その……ごめんなさい」
 どうやら、立ち聞きした友達とやらのぶんを謝っているらしい。
「あちゃあ、そうなんだ。それじゃバレても仕方ないか……あれ?」
 だが、それはおかしい。
 その場所には忍の他にノエルもいた。でも他には人なんて誰もいなかったはずだ。
 ふと、海浜公園のノエルとの会話がよみがえる。
 
『わからない。ノエル、誰か見てない?』
『いえ、誰も。ですが何かを感じます』
『ノエルも?』
『はい。対象がなんなのか分析できませんが』
 
 まさかと忍は思った。だが忍は自分の直感を信じた。
 そう。あの視線は、なのはのものなのだと。
 なのはは何かを隠している。行動がどうにも不自然だし、明らかに何かを知っていてそれを黙っているように忍には思えた。エンジニアとしての忍はそれを追求したい欲求にかられたが、今はその時ではない。
 何を隠していようがなのははなのは、恭也の妹だ。それも相当に兄に懐いている。ならば問題のある行動はとらないだろうし、巻き込んでしまえば何を隠しているのかを見極めるチャンスも得られるかもしれない。
 ふむ、と頷いた忍は屈みこみ、なのはに目線をあわせた。
「ねえ、なのはちゃん」
「はい」
 いい返事だ。忍はにっこりと笑った。
「隠し事してるでしょ?何か凄いこと。私や恭也が聞いたらびっくりしちゃうようなこと」
「……えっと」
 焦るようななのはの顔を見て、やっぱりねと確信した忍だったが、
「心配しなくていいよ。私は何もきかないから」
「え」
 あのね、と忍はなのはに語りかけた。
「そりゃあ気にはなるよ?
 なのはちゃんがどういうお友達に恭也のことを聞いてきたとか、どうやってここまで来たとかね。なのはちゃんに何かあったら恭也が悲しむもの。
 だけど私は聞かない、約束する。なのはちゃんが教えてくれるっていうんなら聞きたいけど、私からは何も聞かない。
 そのかわり、なのはちゃんに手伝ってほしいことがあるの」
「……手伝う、ですか?」
 首をかしげるなのは。もちろん忍は大人である、なのはがしらばっくれてる事くらいはさすがにわかる。
「恭也の状況はわかってるんだよね?」
 少し躊躇したが、はいとなのはは頷いた。
「今のおにーちゃんには、別の世界からきた人が入っちゃってるんだと思います」
「ふむ」
 なのはの言葉を反芻する。
 正直忍には信じられないことだ。だがあの男もそう言っていたし、那美もそれを指摘していた。那美と男は一度会話しているので共通の誤解をしている可能性も否定できないが。
 だが、なのはは違うはずだ。
「なのはちゃん、それは誰かに聞いたこと?それともさっきの『お友達』かな?」
 『お友達』を強調する。つまり、あなたが隠している何かで知ったのかな?と匂わせているわけだ。
 そして、なのはは忍の言いたいことを理解したようだ。
「はい……その、ごめんなさい」
「いいのいいの。聞かないって言ったでしょ?」
 誘導尋問してもいいが、それは今やることではないと忍もわかっている。今重要なのは恭也のことであって、なのはの隠し事はその次だ。ゆえにここでは話題にしない。
「とにかくこっちいらっしゃい?さくらと那美がいるから、みんなでお話しよ?」
「あー……それはその」
 那美の名前が出た時点でなのはは躊躇した。
「ん?どうしたの?……あ、もしかして那美に聞かれたらまずい?」
「まずくはないですけど……」
 どうやら那美が絡んでいるらしい。
「ん〜ひょっとして、きつねのことで那美と何かあった?」
「!」
 驚いたような顔をするなのはに、にっこりと忍は笑う。
「なるほど、秘密を共有する仲ってわけか。
 そういうことならたぶん大丈夫、那美だってああ見えてしっかりしてるとこあるんだから。なのはちゃんが追求されたくないとこに突っ込んでくるようなことはないと思うよ?
 それに今はそれどころじゃないもの。恭也のことで頭がいっぱいのはずだし」
「……」
 なのははしばらく忍の言葉をじっと考えていたが、
「わかりました」
 そう答えた。



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