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誰よりも愛しい兄(1)

 短い異境訪問は終わり、頭を冷やすため少し休憩を挟んだ。
 トイレと席を立った忍とさくらは、廊下に出たところでお互いに顔を見合わせた。さすが最愛の姪と叔母、考えるところは一緒だったようだ。
「さくら、どう思う?なのはちゃんの能力」
「……危険だわ。あんな小さい子が持ってていい能力じゃない」
 滅多に見せない真剣そのものの顔で、さくらはつぶやいた。
「どう、忍?何か原理とか想像つくかしら?」
「だめ」
 忍はあっさりと首をふった。
「原理も理論も全然わからないの。あれはむしろノエルに使われてる遺失技術に近いものだと思う。残念だけど私の頭じゃどうにもならない。正直、今でも夢か幻かって気分」
「そう。やっぱり」
 悲しそうにさくらはつぶやいた。
「忍。この件については私に任せなさい」
「どうするの?さくら?……まさか」
 忍の目が丸くなった。
「ちょっとまってさくら!そんなことしたらなのはちゃん」
「忍が嫌われ役になるわけにいかないでしょう?恭也さんのこともあるし」
 苦笑いをさくらは浮かべた。
「それに、もう遅すぎるのかもしれないわ……あの宝石を取り上げたくらいじゃなんの意味もないのかも」
「どういうこと?」
 そんな話をふたりがしていると、那美が部屋から出てきた。
「あ、那美。なのはちゃんは?」
「久遠とお話してます。さっきヤタ君見せたので久遠が落ち込んじゃったみたいで。ごめんって」
「そ」
 この休憩が終われば、いよいよ本題に入らねばならない。フォローするなら確かに今だろう。
「ねえ那美さん、ちょっと聞きたいんだけど……神咲としての意見を聞かせてくれる?」
「あ、はい」
 真剣な顔で那美は頷いた。
「忍は反対みたいだけど、私は今でも恭也さんの治療にはなのはちゃんをあてるべきだと思うの。だけどなのはちゃんはアレでしょう?あの子の能力のことを考えると心配もなくはない。
 那美さん、貴女はどう思うかしら?なのはちゃんのアレ」
「……そうですね」
 那美は少し考え、そして答えた。
「わたし以外の神咲の人間なら、なのはちゃんからあの宝石を取りあげようと考えると思います。あれは物凄く危険なものですし、なのはちゃんはしっかりした子ですけどやっぱり子供です。せめてもっと大きくなってからじゃないと、どういう悪影響があるのかもわからないですし。
 ……ですが正直、もう無意味なんじゃないかと」
「無意味?」
 忍が那美の言葉に首をかしげた。
「あの宝石には、なのはちゃんの霊気が満ちてます。何度も何度もなのはちゃんの力を受けるうちに汚染されていったんだと思いますけど、あれはもうなかば、なのはちゃんの一部ともいえると思います。これは推測ですけど、だからこそあれをなのはちゃんに托したひとも回収せずに帰っていったんじゃないでしょうか。もうこれはキミのものだよって。今さら切り離すなんてできないから」
「……そう」
 さくらは黙る。この道の専門家がいう言葉に口を挟む気はないようだ。
 那美は悲しそうに首をふった。
「わたしたち、少し遅すぎたんです……あの子はもう戻れない。
 それがどういう未来につながるかはわからないけど、なのはちゃんはもう、魔法使いとして生きるしかないんだと思います」
「……もしそれが、神咲の仕事になるような存在になっても?」
「!」
 忍がさくらの言葉に驚き、顔をあげた。
「なのはちゃん、いい子だからそんなことにはならないと思いますけど……でも」
 那美は沈んだ顔をして……そして、思い直すように顔をあげた。
「もしそうなったら、その時はわたしと久遠がなのはちゃんの前に立ちます。
 わたしにとっても、久遠にとっても……なのはちゃんは大切ですから」
「……そう。わかった」
 さくらは全ての言葉を飲み込むように頷いた。
 
 まずは、さくらが様子見に立った。
「彼の様子を確認してみるわ。それで最終決定しましょう。それでいいわね?」
「うん」
 渋々ながら忍も同意した。
 正直、忍は自分がなぜここまで反対するのかわからなかった。なのはに見せられたものといい、那美たちの言葉といい、冷静に考えればなのはをぶつけるのが一番だとわかるのに。
 心残りが『高町なのは』なのだから、それをぶつければ全ては終わる。
 危険?夜の一族がふたりに力不足だが神咲の娘、そして半封印状態とはいえ狐の変化。何かあればその途端に引き離すことくらい朝飯前だろう。
 なのに。
 なのにどうして、自分は不安を感じているのだろう?
「忍さん」
「何?なのはちゃん?」
 目の前にいるのは、その不安の元凶のひとつ。
 まさか恭也の妹が、あんなとてつもない能力の持ち主だなんて忍は想像もしていなかった。これに比べれば恭也の剣技や那美の神咲なんて可愛いものだ。確かにすさまじくはあるが理解の外というわけではないから。
 異世界からもたらされた技術。そして異世界の力。まるで理解不能の、この世に属さないもの。あまりにも異質すぎて対応方法すらもわからないもの。
 理解できない、というのは人間の不安をそそる。ましてや忍は工学系、ばりばりの科学の信徒だ。神咲である那美や異類婚姻の落とし子であるさくらとは思考のベースがまるで違う。不安になるのはあたりまえのことだった。
 なのははそんな忍の内心を知ってか知らずか、いつもと変わらずニコニコしている。
 だが、その落ち着きぶりが忍には不気味に感じられたのも事実だった。
 そうこうしているうちに、さくらが戻った。
「どうだった?さくら?」
「落ち着いたみたいよ。大丈夫、なのはちゃんにお話してもらいましょう」
「はい」
 待ちかねていたようになのはが席を立った。すたすたと出口に向かって歩きはじめる。
「あ、ちょっと待って」
 那美たちも立った。ドアを出ていくなのはにあわててついていく。
 月村邸は広い。その中をなのはは迷いもせず、兄の寝ている部屋にずんずん歩いていく。
「──忍お嬢さま」
 ずっと前から黙って忍の背後にいたノエルが、唐突にぽつりと語った。
「なに?ノエル?」
「恭也様の寝ておられるお部屋をどなたかお教えしたのでしょうか?私にその記録はないのですが」
「!」
 ノエルの言葉に忍も気づいた。
 そしてそれが、忍にひろがっていた不安に火をつけてしまった。
「なのちゃん!」
「はい?」
 忍は思わずなのはに駆け寄り、なのはの手を掴んだ。
「忍さん?」
「なのちゃん、やっぱやめよ、ね?」
 なのはは、何いってるんですか忍さんといわんばかりに眉をしかめた。
「どうしてですか?」
「どうしてって……だってあいつは恭也じゃないんだよ?」
「そうだけど……でもおにーちゃんですよ?」
 うまく言葉にできないのがもどかしいのか、ちょっと困ったようになのはは言った。
「それにですね……今だから言いますけど、なのは、最初からわかってたんです」
「え?」
 忍だけではない。あとからきた那美やさくらも首をかしげた。
「今朝、凄い優しい気持ちに包まれて目がさめたんです。ちっちゃい時におにーちゃんにおんぶされてた時みたいな、そんな優しい、懐かしい気持ちです。とても嬉しかったです。
 だから、なのはにはわかります。あれはおにーちゃんじゃない、でもおにーちゃんなんです」
 そういうと再び歩きだそうとするなのは。でも忍は手を放さない。
「……忍、もう決めたことでしょ?どうしたの?」
 背後からさくらが声をかけてくる。でも忍は譲れない。
 不安だ。
 このなのはに恭也を托す、それが忍をおそろしく不安にさせていた。
「だめ、やっぱりダメ。恭也になのちゃん近づけるなんて危ないよ」
 それは嘘ではない。確かに言葉通りだ。
 ただし忍の内心では、あの変態恭也もどきよりもなのはの方が危険と感じられはじめていた。
 そんな忍を見透かしたように、なのははにっこりと笑う。
「だって、お兄ちゃんなんでしょ?」
「そりゃそうだけどね、なのはちゃん。あれは恭也であって恭也じゃないんだよ?あれはね、なのはちゃんみたいな年頃の女の子が好きな変態ロリコン男なの。なのはちゃんの大好きな恭也とは別人なんだよ?」
 言い訳だと自分でもおもっている。確かに言葉通りだが、忍の感じている不安はあの恭也もどきではない。むしろなのはの方だ。
 だがその事に忍が思い至る前に、扉の向こうから声がした。
『忍、なのはに変な言葉を教えるんじゃない』
「!」
 恭也もどきの声だった。
 その言葉に、忍の中の不安もなにも一瞬だけ吹きとんだ。
「立ち聞きしたあげくなにが忍よ!なれなれしく言わないで気持ち悪いわね!だいたいニセモノのくせに恭也みたいなこと言ってんじゃないわよ!」
 すぱーんと激情のままに言い切り、そして内心ぎょっとする。これではまるで、いつも恭也と馬鹿言い合う時のようではないか?言葉こそ罵倒そのものだが。
 そして、まったくいつものタイミングで恭也からも罵声が返ってきた。
『俺のことなんかどうでもいい!なのはに変なこと教えるのはやめろと言ってるんだ!おまえ分別のない人間じゃないだろ!なのはの年頃を考えてくれ!』
「!」
 その瞬間、忍の中でいろんな気持ちがわやくちゃに崩れた。
 言葉こそ罵声だが、いつもの恭也のそれだった。べたべたといちゃつく毎日と同様、すでに小さな激突もいくつか経験している忍である。そういう時の耳なれた、ちょっとおかんむりモードの恭也の優しい声のままだった。
 返した言葉は当然のごとく泣き声だった。
「なんで……なんでそんなとこだけ恭也そっくりなのよぉ……」
『……すまん』
 扉の向こうの声は、本気ですまなさそうだった。それがまた忍の心を傷めた。
 偽物のくせに、どうして心が痛むのか。忍は全身から力が抜け、崩れ落ちそうな気分になった。
 と、その時だった。
「おにーちゃん、入っていい?」
 忍の荒れる内心をよそに、なのははすでにドアに手をかけていた。



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