[目次][戻る][進む]

誰よりも愛しい兄(2)

 女の子という言葉がある。
 だが、それを『やがて女になる子供』だと正しく理解しているかというと、少なくとも忍自身は微妙だったと思う。親に反発するかノエルの修理かで過ごしてきた忍の子供時代は、男だ女だというニュアンスからはあまりにも遠いものであったから。
 だが、本当に早熟な女の子というのは幼稚園の頃ですら『女の子』しているものだ。いや、なまじ子供であるがゆえに手段も態度も大人が唖然とするほどにも容赦がない。それは世に毒されているわけでもなければ汚れているわけでもない。純粋ゆえに苛烈。
 それを知らない忍は本当に驚いた。たった八つの女の子がこれほどに『女の子』であるという事実に。
 
 忍たちが部屋に入った時、既になのはは恭也もどきと対面していた。
 獲物を眼前に変態男がどんな顔をしているのかと忍は内心不愉快だったのだが、そんな忍の予想に反して、いやもしかしたら男の反応は予想通りだった。男はなんとも言えない透明な笑みで、まるで怯える子猫に応対するように優しくなのはに語りかけていたからだ。
 なんて幸せそうな、そして寂しそうな顔なのだろう。そう忍は思った。
 ──それは、あこがれ。
 それは小さな娘に溺愛する歳老いた父のようだった。あるいは、憧れの美しき妖精に奇跡の確率で出会えた死にかけの戦士のようでもあった。間違っても男が女にする顔ではない。愛くるしいものを慈しみ褒めたたえる、そうした純粋な賛美と好意の顔だった。
 どう足掻いても届かないもの。星よりも遠い憧れ。
 絶対にたどり着けないはずの無限の彼方の輝きに、なんの奇跡かたどり着いてしまった。そんな歓喜と寂寥の笑みだった。
「……」
 那美が悲しそうにしていた。男の気持ちがあまりにもわかりやすいからだろう。
「存在が揺らぎはじめた。もうすぐね」
 さくらがつぶやいた。見れば確かに男の周囲が揺らぎ始めている。
 あれが霊気というものか。あまりに強いせいか、夜の一族とはいえこういうものに疎い忍の目にもそれがはっきりと見えた。
 ──いのちのほのお──。
「……」
 ふと気づくと、男は忍を見ていた。
 何か言いたげに一瞬だけ忍を見た男だが、すぐに思い直したのか目の前のなのはとの会話にもどる。なんだろ、後で問い質そうかと思ったその直後に忍は苦笑する。
 次があるわけがない。
 この男はここで消えるのだから。あとに残るは忍の愛する恭也であり、このロリコン変態男ではない。
 男がなのはに呼びかけた。なのははハイと返事をした。
 何かを問いかけているようだが、なのははそれがわからないらしい。首をかしげるなのはの表情はわからないが、男の安堵半分、不安半分の表情がそれ以上に雄弁だった。
 男の知る『史実』つまり、ゲームとやらで起きたはずの良くない出来事か何かを確認しているのだろうかと忍は思う。
 なんの能力もないただの男──あれの持つ唯一のアドバンテージはそれくらいしかないから。この世界の過去と未来をゲームという形で限定的にせよ俯瞰できるというのなら、その知識をなのはに托すことが彼にできる唯一のことだろうから。
 話が終わったらしい。
 男はなのはに何か含め、部屋から出そうとした。男の周囲の揺らぎはますます大きくなり、もしかしたら普通の人間にも察知できるんじゃないかと思うくらいに強烈になっていく。きっと『最後』を見せたくないのだろう、そう思った。
 まったく、悲しくなるほどに恭也そのものだ。優しいなのはのお兄ちゃん、偽者だろうとなんだろうとそれだけはまったく変わらない。
 ──だが。
「いや」
「──え?」
 忍は驚いた。男でさえも驚いたようだった。
 なぜ、拒む?
 その男は兄ではない、なのはは知っているはずだ。身体は恭也でも中身は別物、それなのに。
 どうして、たかが偽者とのわかれを惜しむ?なぜ?なぜ?なぜ?
 そんな時、なのはの声が響いた。顔は男に向いたまま。
「さくらさん忍さん那美さん、ごめん、みんなでてってほしい」
 ──な、何を言ってる?
 なかば混乱したまま、忍はそれに反論した。
「ダメ。桃子さんたちに無理いってなのちゃん連れてきたんだから。今のこいつとふたりっきりにするなんてできないよ」
 それは万が一を考えてさっき皆で決めた言い訳。そうでないと最悪、なのはの能力などについて恭也が知ることになってしまうから。桃子さんたちには後でうまく事情を説明するつもりだったわけだが……。
 なのははその反論に納得できなかったのか、忍の方に振り返った。
「忍さん」
 なのはは振り向き、忍の顔を見た。
「!」
 忍はその瞬間、なのはの表情にぎょっとしてしまった。
 ──なのはは、女の顔をしていた。
 年端もいかない、そんな言葉がぴったりくる僅か八歳のなのはが女の顔をしている。それ自体が忍には驚愕を越えてUFOでも見たような気分だった。いったいなんの悪夢かと目をこする。
(──なんて)
 なんという憂いを秘めた目だろう、と忍は思った。子供の目じゃない、子供は断じてそんな目をしないと忍は底知れない恐ろしさと共に感じた。
 それはさくらたちも同様なのだろう。誰もぎょっとしたような気配を見せただけで声ひとつあげない。
「くー」
 訂正、久遠だけは平然とそんななのはを普通に見ていた。動物だからなのか、それともこの小ささで数百年という年月を経たがゆえのことなのか。
 ほぼ外見通りの年月しか生きていない忍にはわからない。
「忍」
 さくらが横で促してきた。出ましょう、と。
「さ、さくら、でも!」
 危険だ。
 あのなのはは危険だ。たとえ恭也が何者だろうとそれが魂のみであり、乗っ取られた形で恭也自体がそこに存在するのなら、
 ──この化け物と恭也をふたりっきりにしてはいけない。
「……」
 出るわよ、とさくらに引っ張られた。
「……」
 目の前にはなのはの視線。『出ていけ』と言外に言っているのがわかる。
「……」
 結局さくらにひきずられ、忍は部屋から出た。
 
「さくら!あれほっといて平気なの!?那美も!」
 部屋の外に出た忍の開口一番がそれだった。中に聞こえることも考慮したうえで、わざと大声で詰め寄る。
 さくらは困った顔の那美をかばうように、忍の前に立った。
「忍。そうはいうけどね……止めてどうするの?
 恭也さんは放っておいても二分とたたずに昇華しちゃうわよ?それにあの恭也さんはなのはちゃんに何もしないし、最後のお話くらいさせてあげたって」
「あの顔見なかったの!?おとなしく『お話』だけですますと思うわけ!?」
 そう。あれは完全に女の顔をしていた。
 たった八歳の女の子が女の顔をする。常識的にいうと信じられないが、それはマセガキとかそういうレベルではない。大人の女、それも普通の女からすると最高にやばいタイプの女の顔だ。
 忍はそういうタイプの女とつきあいがあるわけではないが、いくらなんでもあれはわかる。人の形をした女郎蜘蛛のようなものだ。モラルも常識も踏み越えて男を喰う類の情念の化け物。あんなものに気づかないほど忍は女として鈍感ではない。
 魔法なんてものの才能といい、この本質といい……さすが恭也の妹というべきか。いやな方向までとんでもなく型破りすぎる。
 いかに妹とはいえ……いや妹だからこそ、二分どころか二秒だって恭也とふたりっきりにはできない。
「そうは言ってもねえ」
 さくらは困ったように、そんな姪の気持ちに眉をよせた。
「なのはちゃんがあんなに恭也さんのこと好きだったなんて知らなかった。きっと『本物じゃない』ってあたりで普段の枷が外れたんでしょうね……まぁ忍、本物の恭也さんが戻ってからそのあたりは考えましょう。でも問題ないでしょうけどね」
「どうしてそんなことわかるのよ!」
 激昂する忍に、さくらは静かに言う。
「だって忍、あれほどの気持ちを今までまったく出してないのよ?忍だって気づかなかったでしょう?つまり、なのはちゃんはなのはちゃんできちんと一線を引いてたのよ。いくらお兄ちゃんが好きでも恋人にはなれないんだし」
「甘いってば!」
 忍は激昂した。
 いつもは鋭くしっかりした自慢の叔母なのに、どうして恋愛ごとの機敏にはいまいち疎いのか。至らぬ姪っ子の自分ですらわかるのにと忍は憤慨した。
 だが、それは無理もないことだったろう。
 綺堂さくらという女は、未だに高校時代の大好きな先輩を忘れていない。そういうロマンチックな体質の女性なのだ。しかもそれは初恋でなく、もっと昔に一目惚れなども経験している。つまり、それなりにいくつかの恋は経験ずみなのだ。それが叶ったかどうかは別として。
 ほとんど初恋の男をいきなりゲットしてしまった忍とは根本的に土壌が違う。しかもあの男にその遠い日の恋を応援されてしまい、かなり気持ちがぐらついてもいるのも事実。
 兄への想いを秘めた幼い少女を攻める気持ちにはなれなかった。たとえその気持ちが、激しくアナーキーなものだったとしても。
 しかし当然それを忍は知らない。知らないからもう爆発寸前だった。
 ──と、その時だった。
「──結界?」
 ぼそ、と那美がつぶやいたひとことが忍の激昂を止めた。
「なに、那美?」
「ああやっぱり結界だ!嘘、いったいいつのまに!」
 慌てた口調で那美はドアノブを握った。
「開かない……どうして?」
「なに?さくら、ロックした?」
「私が鍵なんて持ってるわけないでしょ?」
 さくらが肩をすくめた。それはそうだ。
「誰もロックしておりません。──皆さん下がってください」
 ずっと影のように控えていたノエルが宣言し、皆はドアから離れた。
「戦闘用の力を使います。ドアを破壊してしまうかもしれません」
「いいわ、やってノエル!」
 はい、とノエルは頷くと、おもむろに古い真鍮製のドアノブを強引に回そうとした。
「──回りません」
「えぇ!?冗談でしょ、ただの真鍮製よこれ!」
 これには忍も愕然とした。
 ノエルの力は最新の鋼鉄製ドアだって歪ませる。場合によってはドアの方が先におしゃかになる。自動人形の腕力とはそれほどのすさまじいものだ。もちろん旧式の真鍮の鍵など問題にはしない。最悪、鍵ごとノブをドアからもぎとることだってできる。
 そのノエルがビクとも動かせない木製のドアと真鍮の鍵。それは何か?
 決まっている。何か別の原理でドアごと固められているせいだ。
「さがってなさいノエル。私がやるわ」
 さくらの右手が髪と同じ、ゆらめくような色の光に包まれた。
「!」
 急激にもりあがるさくらの力を感じたのか、那美がビクッと反応する。だが忍もさくらも構ってはいられない。
「この!」
 むんずとさくらはノブを掴み、鍵ごと一気に破壊した。
「ふう──ってまだ開かない!?」
 既にドアロックも何もないのにドアはビクともしない。しょうがないわねとさくらはドアそのものも破壊しようとしたのだが、
「さくらお嬢様、そこまで壊していただければ後は私でも問題ありません」
「あ、そう?」
「はい」
 そういうとノエルはドアの破壊部分に手をかけ、まるで紙細工でも破るかのようにばり、ばりと簡単にドアを破壊していった。
「あのぅ……このドア、すごく硬そうなんですけど……って忍さん!いきなりとびこむのは危険で…」
 ちょっとビビッたらしい神咲の巫女さんが、少し情けない声をあげたがやはり無視。忍はもうそれどころではない。われ先にと中にとびこんだ。
 そこにある光景を目にした忍は、
「!」
 絶句した。
「わ、な、ななななのはちゃん!何やってんの!」
 遅れて入ってきたらしい那美が素っ頓狂な声をあげた。
 
 なのはは男にしなだれかかり、くちづけしていたのだった。



感想メールフォーム


PLZ 選んでください(未選択だとエラー)







-+-
inserted by FC2 system